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平成23(2011)年8月10日広 報特集号としま4優秀賞優秀賞優秀賞優秀賞高松小学校 5年生金林 春希社会を明るくする運動椎名町小学校 5年生赤尾 日向子思い出をくれた命 私は、命について考えました。そして1番最初に思い出したことが以前かっていた鳥のことです。 ある日私はお母さんとペットショップに行ってセキセイインコをかってもらいました。初めてのペットだったのですごくドキドキしました。名前を決めるのにいっぱい時間をかけてその結果「ピッピ」にしました。その時の気持ちは、ドキドキからワクワクにかわっていました。 ピッピが私の家に来てから毎日がとても楽しくなりました。ごはんをあげたり、いっしょに遊んだり。ピッピは、いたずらだったので頭の上に乗ったり、やさしくほっぺをついばんだりしていました。私とお母さんでピッピにいっぱい言葉を教えたこともよく覚えています。まず「ピッピ」としゃべってほしかったので、それを最初に覚えさせました。そしてついに「ピッピ」と話してくれた時は、お母さんと大喜びしました。びっくりしたことは、いつも家族でしゃべっていることをピッピが覚えてしまったことです。なのでどんどんピッピがいろいろなことを話すのでついには、何を言っているのか分からずもごもごしゃべっていました。だから家族で笑っていました。 ピッピは1度病気になってしまったことがあります。ピッピが病気だとも知らず、鳥の病院に健康診断をしに行きました。すると、先生に病気と言われてすごくおどろきました。薬を買って家に帰りました。病気は、治ったのですごく安心しました。その時私は、「これからもしっかりピッピを守ろう。」と心からそう思いました。それから何事も無く、楽しく生活しました。 ピッピが私の家に来てから4年がたちました。そしてある夜、私がいつものようにピアノをひいているとお母さんがすごく大きな声で「ピッピ」と言っていたので急いでお母さんの所へ行くとピッピをだいているお母さんがいました。ピッピは鳥かごについているぼうからおちてしまったのです。そして少しするとピッピは、天国へ行ってしまいました。頭の中が真っ白になりました。お母さんと私はいっぱい泣きました。お父さんが急いで帰ってきたのでピッピは、お庭にうめました。私は、ピッピに数えきれないくらいありがとうと大好きを言いました。 次の日、私は自分をせめ続けました。でもピッピが天国に行ってしまったことを知っている友達がいっぱいなぐさめてくれました。なので元気になりました。 私はたまに空を見上げます。「ずっと、大好き」言いながら、小さいピッピが大きな思い出をくれたことをすごくかんしゃしています。西池袋中学校 2年生島田 いづみ「言葉」が持つ力 私が、明るい社会にするために毎日している事は、朝1番のあいさつです。朝起きたら、最初に台所に行って、お母さんに「お母さん、おはよう。」と、元気に気持ちの良いあいさつをします。お母さんも、「おはよう。」と、笑顔で言ってくれます。おじいちゃんや、おばあちゃんにも、「おはよう。」とあいさつします。それから私は、玄関そうじをします。いつもその時間に、新聞屋さんにも、「おはようございます。ご苦労様。」と、声をかけています。そしたら、新聞屋さんも「おはよう。手伝いえらいなぁ。」と、言ってバイクで帰ります。その時の新聞屋さんの顔は、にこにこしています。夜仕事から帰って来る、お母さんとおじいちゃんにも、元気なあいさつをします。私が、学校に行く時も、「行ってきまーす。」と、言います。家の人は必ず、「行ってらしゃい。気を付けてね。」と、何度も何度も、気を付けてを繰り返して言います。 通学路で会う人にも、元気にあいさつをしています。近所のお兄さんや、お店のおばちゃんにも、「おはようございます。」とあいさつをすると、「おはよう。」と明るい笑顔であいさつを返えしてくれるので、とてもうれしいです。学校に着いてからも、先生や友達に忘れずにあいさつをします。あいさつをしても、知らんぷりをする人がいると、悲しくなります。なんでだろうと、いろいろ考えてしまいます。その時の自分は、きっと悲しい顔になっていると思います。1日を明るく過ごすためには、朝のあいさつが大切だと聞いた事があります。だから私は、明るくて元気なあいさつを、いつも心がけています。 社会を明るくするために、私が思う事は思いやりの心を持つ事です。私は、困っている人やお年よりの人に、出来る限り親切にしてあげたいと思います。小学校低学年の時に、近所のおばあちゃんが大変そうに荷物を持っていたので、走って行って持ってあげた事があり、今でも忘れません。しばらくたってからお母さんに、「いづみ、お年よりに親切にしてあげたのね。喜んでたよ。お母さんも、うれしいよ。」と、話してくれました。私も、いい事をして本当に良かったなぁと思いました。みんなが、声をかけあって思いやりの気持ちを持てば、きっと今よりも明るい社会になると思います。 それから、家族や友達と、たくさん会話をするといいと思いました。悩みや相談したい事を、聞いてもらったり聞いてあげたりして、いつも明るく過ごせるといいと思います。私は、悩みを相談出来なくて学校でしょんぼりしていました。その様子を見て、私を心配してくれた友達が居ました。友達は、私のために相談してくれていました。そして、先生から心配してくれている友達が居ると聞いてとてもうれしかったです。だから、思っている事や伝えたい事があったら、どんどん話すといいと思います。会話は、大切だと思いました。社会を明るくするために、私は話す事から、実行したいと思います。千登世橋中学校 1年生鷹本 喜奈子「できることから始めよう!」 私は最近スーパーなどで、募金箱を見かけます。その箱には外国人の写真がはってあります。そこの写真に写っている外国人の表情が、とても苦しそうでした。募金内容は外国の貧しい国でくらしている子どもたちに医りょう器具やワクチンを届けるユニセフ募金でした。私はお釣りの10円をいれました。私は家に帰りよくよく考えました。日本だけでも人口は約1億人以上います。1人10円の計算をすると10億円とすごい額になります。1人10円は無理だとしても1億円以上には必ずなる計算です。「たった」といったらだめですが、私から見た10円はたったです。そう、たったの10円で助かる命ならば絶対に募金した方がよいと思い、こんどからはお釣りが例え1円であっても募金することにしました。ある時、募金箱の中に1,000円がはいっていました。なんだかジ~ンとしました。私と同じ考えの人がいる!うれしい!という気持ちでいっぱいになりました。 私の小学校では体が不自由な人のために、募金活動をたまにやっていました。私はそれがあるたんび100円をいれました。いれると、緑か赤のはねがもらえます。私はそれを命の羽根といい、校帽につけてました。今はもう中学生なので校帽はかぶりませんがまだ命の羽根は私の貯金箱にはってあります。なぜなら机からすぐに見える所だからそれを見ているととても優しい気持ちになれるのでまだ、命の羽根は今でもあります。 4月、入学式。千登中にオールメルというものがあると知り、先ぱいにきくと、体の不自由な人のためと聞いたのでいつやるか、ワクワクしています。やる時はなるべく協力的に取り組みたいです。 私がこういう考え方をしたのは募金箱もありますがもうひとつ理由があります。 私は小学4年生の時に手術を受けました。その時の病気はじんぞうの病気でした。私は小さいころから尿が少しずつしか出ず、たまに尿が出したいのに出せなくなり高熱がでたので病院にいくと、ぼうこうえんといわれました。ぼうこうえんとは、トイレに行きたいけどガマンをしてしまって、じんぞうに負担がかかり、尿を出せなくなってしまう病気です。でも、まだ小さかった私はガマンをしてました。するとまた高熱がでて、尿も出なくなってしまったのでこんどは大きい病院に、行きました。すると、正式名しょうは分かりませんが、生まれつき、ふつう右と左のじんぞうに1本ずつあるはずの尿管が左に、2本あり、2本のうちの1本は正常。もう1本がすっごく太くてその1本から尿が逆流してしまい、高熱がでる。そういう病気でした。手術を受けるなんて信じられないし、こわかったです。それでも病院の看護師さんが、「大丈夫。こわくないよ。」とはげましてくれ、ぶじに手術はおわり、たいいんもできました。あの時、看護師さんが一言、声をかけてくださらなかったら私は安心して手術にのぞめなかったと思います。人の言葉ってすごいなぁ。とあらためて実感しました。そして私はあの時の看護師さんのような看護師になりたいです。そして貧しい国やつらい病気でくるしんでいる人を1人でもおおく助けたい。救いたいと思います。これがもうひとつの理由です。優しい気持ちは人を優しくする。私は今でもあの看ごしさんに感謝しています。 ユニセフ募金と私。これからもユニセフ募金になるべく協力し、日本だけではなく、世界の人々が幸せに、安心してくらせる日が1日でもはやくくればいいと思っています。日本中の人が少しでもそういう気持ちを忘れずに、優しい気持ちをもって世界に協力できたらいいと願っています。1歩でもいいので前へ前へ進める、そんな日本、世界にしていきたいです。かねばやし はる きあか お ひ な こしま だたかもと き な こ わたしは、バスや電車に乗っている時に、ゆう先席におとしよりではなく、わかい人がすわっているところをたまに見かけます。おとしよりが立っていなければまだいいのですがその時は、おとしよりが立っていました。なのにわかい人はおばあさんが立っていることに気がつきません。そうすると、ゆう先席にはすわっていない女の人がおばあさんに席をゆずってあげていました。するとおばあさんはうれしそうな顔をして「あら、ありがとうね。」と、喜んでいました。それを見てわたしは、自分もあんな風にしてみたいなと思いました。 それから、すこしたってわたしはバスのゆう先席にすわってしまいました。その時は席はゆう先席しか空いていなく、とてもつかれていたのでおとしよりが来たら立ってあげようと思っていました。すると次の駅でおとしよりがバスに乗ってきてしまいました。そしておばあさんはきょろきょろ席を見まわして空いている席をさがしていました。しかし、席は空いていません。なので、わたしは席をゆずってあげようと思いましたが、はずかしくてなかなかゆずってあげられません。とうとうあと3駅でおりてしまいます。やっとおばあさんに「どうぞ」と言って席をゆずってあげられました。するとおばあさんは喜んでくれました。とってもうれしかったです。はじめはとてもはずかしかったけれど言ってみるとかんたんでした。それに言ったあとは心がすっきりします。 これからはおとしよりだけでなく、おなかに赤ちゃんがいる人や、小さな子どもをつれている人などにも席をゆずってあげたいです。そしてゆう先席ではない席でもゆずってあげたいです。席をだれかがゆずると、ゆずってあげた人もゆずってもらった人も心がすっきりしたりうれしくなったりしてみんなが幸せになれるのでみんなが席をゆずってみんなが幸せになったらいいと思います。

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