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8No.1544vol.3住みつづけたいまちとしま 豊島区制施行80周年 豊島区は、今年、誕生して80年という節目の年を迎えました。本シリーズでは4回にわたり、区に長くお住まいの多世代家族の方を訪ね、まちと共に歩んだ歴史をうかがいます。 3回目はにぎやかな南池袋で、戦後まもなく電気店を開業し、地域と共に歩む富澤さんのご一家にお話をうかがいました。大草原だった池袋 「戦後、引っ越してきたときは一面に2mくらいの草が生えていました。大草原でしたから」と開口一番、政治郎さん。おおげさな喩えではなく、昭和初期まで現在の池袋駅東口グリーン大通りの周辺には、広大な雑木林があり、「根津山」と呼ばれていました。大正14年生まれ、9月で87歳になる政治郎さんは、昭和24年に墨田区本所出身の冨美子さんと結婚し、南池袋で何もなかった草原に小さな家を建てました。当時は南池袋ではなく日ノ出町という名前でした。「このあたりで初めて建ったのが私の家。井戸を掘って、畑で野菜を作りました。今の南池袋公園の所には泥を盛った防空壕のような家が並んでいましたよ」。 15歳の時から電気の専門知識を磨いていた政治郎さんは、配線材料を営業するため自転車で走り回りました。遠いところでは、小岩まで行ったのだとか。やがてラジオ・電気の看板をあげた家に建て替えたのが昭和27年。富澤ラジオ電気商会の始まりです。と言ってもメーカーが台頭するのはもう少し後のこと。近所の人に頼まれて、ラジオを組み立てたりするのが主な仕事でした。「箱とダイヤルの形を選んでもらってから作るんです。だいたい一晩でできたね」と政治郎さんは振り返ります。そして昭和28年にテレビ放送が始まると、池袋の街角でもいわゆる〝街頭テレビ〞の人気が沸騰します。「プロレスが人気でしたね。他の電気店と交替でテレビが入った箱のカギを開けて、時間になると閉めるのが仕事でした。電波が悪くて映らなくても関係ないんです」。高度成長期を経て 商売が軌道にのり始めた昭和30年に誕生したのが、現在社長を務める、次男の弘治さんでした。外国人の方々にみこしを担ぐチャンスを作る「国際交流のおみこしを担ぐ会」、「梟の樹を創る会」事務局などでも多忙な日々を送っています。根底にあるのは「歴史を伝えていきたい」という想いです。 「代々続いている家族には歴史と家族のつながりがあります。同じように世代を積み重ねていくことで、まちも豊かになっていくのだと思います。守るべきものを守っているからこそ、未来への夢も描けるのでしょう。人は次々に新しいものを求めますが、お年寄りが言うことを素直に受け止め、次に伝えていくことも大事。私もおじいちゃん、おばあちゃんと一緒だったからこそ店も子育ても続けてこられました。住宅事情で難しいのであれば、二世代、三世代で住めるマンションに補助金を出すような制度ができるといいですね」。 画家だったひいおじいさんの画号を受け継いだ孫の伸介さんもまた、父親同様に生粋の池袋っ子。今は書道とフルートに夢中です。繁華街に誘惑は多くないかと意地悪な質問をすると「あたり前の風景だから」と少し困った顔。それを「ここ池袋がふるさとだものね」と笑顔で見守る母親の宣子さん。弘治さんも「池袋に人がこれだけ集まるのは何か魅力があるから。だからこそ良いまちにしていきたい」とうなずきます。 富澤家一軒だった南池袋も今では飲食店が建ち並ぶ繁華街になりました。しかし変わりゆく中でも、防犯活動や南池袋公園での「金曜いこいのコンサート」「植木市」をはじめとする商店街活動が盛んに行なわれているのには、長らく商店街会長を務める政治郎さんの尽力があります。「まだ電気屋さんをやっててくれたんだと引っ越した人が訪ねてくることもありますよ」と笑う政治郎さん。南池袋と共に63年。守り続けたまちの電気屋さんの看板は、いつしか南池袋の人たちにとってふるさとの大事な風景になりました。平成24年(2012年) 8月21日ふくろ祭りでおみこしを担ぎたい外国人参加者募集Wanted:Participants to Carry the Mikoshi(Portable Shrine) at the “Ikebukuro Fukuro Festival”おみこしを担いで日本文化を楽しみませんか。おみこしを担いだ後は食事をしながら交流会があります。※参加者には手拭いをプレゼント。半天と帯は無料で貸し出します。 ※履物(ビーチサンダル)を持参してください。◇9月23日㈰ 午後3時 勤労福祉会館6階集合◇学生…1,000円、一般…2,000円 ■申ホームページか携帯サイトかEメールかファクス(6面記入例参照。参加人数も記入)で、「国際交流のおみこしを担ぐ会会長 富沢弘治■HPhttp://omikoshi.dip.jp、■携帯HPhttp://omikoshi.dip.jp/hp/、■EMiamtomy@aioros.ocn.ne.jp、■FAX3989-9746」へ。詳しくは問い合わせてください。■問当会 富沢(Tomizawa)☎3971-5345、☎3918-4456(for enquiries in English 英語対応可)、区観光交流グループ☎3981-1316変わりゆくまちを見つめる 〝ふるさと〞の電気屋さんくさはらふくろうたと▲地域の活動に参加される弘治さん富澤政治郎さん伸介さん▲(前列右から)政治郎さんと孫の伸介さん、妻の冨美子さん、孫の真由美さん・望美さん、(後列)次男の弘治さん・宣子さんご夫婦、長男の一公さん(平成11年)▲現在の富澤ラジオ電気商会(店)の前で。▲(左から)政治郎さん、妻の冨美子さん、義母のかつさん(昭和37年頃)▶昭和37年頃の富澤ラジオ電気商会(店)▲昭和7年頃の根津山道路/ 現在のグリーン大通り。実業家、根津嘉一郎の所有地だったことからこう呼ばれるようになった(「旧高田町写真帖」掲載:区立郷土資料館提供)はんてん弘治さん宣子さん

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