20130815_gougai
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特集号ま3課 ☎3981-2187長崎小学校 5年生関 龍之亮さん駒込小学校 5年森川 慶乃さん思いやりと感謝の気持ちを大切に友達は宝物もりかわ よしのせき りゅうのすけ池袋中学校 2年生木谷 悠花さん明豊中学校 2年生千葉 萌さん自分にできること」と「今」を大切に ち ば もえきたに はるかますか。きっとた経験があるて、このように、「はい」と答えありますかと問えにしても、あ。私もすぐ答え自信をもって答ないうちに誰か持ちでも相手がありません。」はもう始まっ、その友達と私の友達は私といつも、私を抜に一人ぼっち分では全く分た。でも、そんてくれる友達が私は頑張って私の代わりになりました。そど辛いことか分ないんだという、友達と一緒にようやく気付き、自分の卑劣な行為を深く反省し、その子に謝りました。そうしたら、その相手の子から私と同じ内容のことを謝られ、私は少し戸惑いました。そして私は気がつきました。自分が弱いから、そうやって簡単に周りに流されてどんな卑劣な行為でも、してしまうんだということにやっと気がつきました。 仲間はずれにするというのも、立派な「いじめ」です。そういう卑劣な行為を許さない、どんな場面でも悪いことを否定する強い意志を、私はこれからも持ち続けていかなければなりません。そして、私が強くならなければと思いました。でないと自分はもちろん、他の人のことを支えられるようにはなれないので、自分の心をもっと強くして私が誰かを支えていけたらと思っています。そのためには普段の行動から、もっと意識していくべきだと思います。いつも相手の気持ちを考えるよう努力して行動したり、人の良い所を見つけたり、他にも今の私に出来ることはたくさんあります。そこで、自分には関係ないなどという考えは決して持たないで、困っている人を笑顔にさせてあげられるようになりたいと思います。「いじめ」はとても卑劣で、卑怯なことです。「いじめ」は立派な「犯罪」です。今、どんなかたちででも「いじめ」に関わっている人達は自問自答してみなければいけません。ほんの少し、クラスや学年の人達が勇気を出すことで、「いじめ」が無くなる一歩につながっていくと思います。そしてはやく、「いじめ」や「差別」がなくなる日を実現できるようにしたいです。 そして私はこれから、今まで以上に信頼でつながる人間関係を築いていけるように、人と人とのつながりを大切にしていきたいです。どんなに辛いことでも仲間がいれば乗り越えることができるし、仲間がいれば自然と笑顔になれます。人を良い方向にも、悪い方向にも動かすことができるのは、やっぱり「人」しかいません。その「人」の優しさに感謝しながら、命を大切に、今を大切にしていきたいです。 「今自分に出来ることはなんだろう」考えるのは一見簡単なように思える。しかしそれを考え実際に行動することは難しいなと身を持って感じた。 私が小学四年生のときのことだ。習い事の帰りに一人で電車に乗って座っていた。すると妊婦さんが乗ってきた。その時空いている席はなく、その妊婦さんは私の近くに立っていた。 その時私は「席を譲ろうかな…」と思ったがなかなか勇気が出ず譲れないでいた。だが思い切って席を立った。立ったのはいいが、妊婦さんに「どうぞお座り下さい」と言うことはできなかった。 すると近くにいたおばさんが私が譲った席に座ってしまったのだ。おばさんは私が妊婦さんの為に席を立ったことに気付いてない様子だった。「直接おばさんに言えないし、どうすればいいのだろう…。せっかく勇気を振り絞って立ったのに、これでは意味がない」と悲しくなってしまった。 しばらくして、座っていたおばさんは自分の近くに妊婦さんが立っていることに気付いた。そして、なぜ私が席を立ったのかも気付いてくれたようだった。 おばさんは私にこんな言葉をかけてくれた。 「あなたは妊婦さんの為に席を立ったのに私が座ってしまってごめんね。」と。そして席を立ち妊婦さんに席を譲ってくれた。すると妊婦さんが「ありがとう」と言ってくれた。 「ありがとう」と言われた瞬間、とてもうれしかった。それと同時に、なんだか恥ずかしくなった。でもこの「ありがとう」という言葉は「今私が妊婦さんに出来ることはなんだろう」と考え行動したから聞けた言葉だった。 一昨年の三月十一日におきた東日本大震災により、多くの犠牲者が出た。そんなとき、テレビで被災地の様子が放送されていた。命は助かったものの、家族や友人、自宅を失った方々がインタビューを受けていた。その中でとても印象に残った言葉がある。 「せっかく助かった命だから亡くなった人の分まで一生懸命生きようと思った。そのためには今自分が出来ることはなにかを考えることが大切だ」 この言葉を聞いたとき私は衝撃を受けた。その方だって辛い状況なのに、自分のことでなく「今自分に何ができるか」を考えていたからだ。私は今、何不自由なく生活しているのに自分のことで精一杯になっている。私は三月に祖父を亡くした。祖父は生前、「悠花、おじいちゃんの分まで生きろよ。」と言っていた。またある人はこんなことを言っていた。「神様に授けてもらった命なんだから毎日感謝をしないといけないね。」と。 だからこれからは「今自分になにが出来るか」を考え、周囲のことも気にかけられるような人になりたい。難しいことかもしれないが、考えるだけでも変わってくると思う。だからまず、考えることからスタートしたい。そして生きていることに感謝しながら毎日を生きていこうと思う。 一人一人が「今自分に出来ること」を考えてほしい。そして生きてることへの感謝の気持ちも持ってほしい。そうすれば日本の社会はもっと素晴らしくなると思う。そういう社会を私達中学生が創っていかなければならない。 かも、何人も毎日元気よくたこともたくさこともあるけっかり仲直りたときがありした。例えば、ぱられたり…てがんばってりとか、目立めはひいてきのつらさがとない」それはでも三年生、はなれまし始まりました。り本当に本友達とも仲よせんでした。、三年生のいけれど悪口方だからね。」だがあふれまた女の子が、「いいよ。」と言って。気づいたら手をつないで、笑いながらろう下を歩いていました。その時から、私はたくさんの友達ができ、なるべく多くの人と、かかわるようにして、四年生をすごしてきました。そして今、五年生になってやっと分かった事があります。それは、「友達は、一生の宝物」という事です。なぜ友達が宝物かというと、友達がいないと学校も楽しくないし、友達がいるという事が、とても幸せだからです。「幸せ」というのは、自分の思い通りになったり、お金がたくさんあるという事ではないと思います。本当の幸せは、身近にあるのではないでしょうか?家族がいたり、友達がいたり、自分が信用できる人がいるということが、何よりの「幸せ」だと私は思います。だから友達は、本当に本当に大切な物だと思います。だから私は友達なしではかなしいです。なので友達を一人でも多くつくれるように、これからも友達を信用して、うらぎるようなことを絶対しないで、いつでもずっとやさしくせっしてあげて、大切にしていきたいと思います。「友達を大切にする」この言葉の通り生きていけたらよいなと思います。大人になっても、友達を大切にして生きていきたいです。 みなさんは、食べ物に好ききらいはありますか。ぼくは、好ききらいはほとんどありません。でも、食べたくても食べられないものがあります。 ぼくには、食物アレルギーがあります。アレルギーは、卵、乳製品、落花生、魚の一部です。そのため、料理を作る時には、それらをのぞかなくてはなりません。みんなとちがうメニューなので、いっぺんに作れず大変で手間もかかります。けれど、家族や、学校給食の調理員さんや栄養士さんは、ぼくのために一生けん命こんだてを考え、料理を作ってくれます。 他にも感謝したい人がいます。それは、友達や先生です。友達は、ぼくがアレルギーだということをひやかしたりせずにうけとめてくれ、アレルギー対応食にぼくより先に気付いて声をかけてくれたりします。先生は、ぼくがアレルギーだということを気づかってくれ、その日アレルギーで取りのぞいたものなどを確認してくれます。みんながぼくのことを思いやり、支えてくれていて、とてもうれしいです。それに、とても感謝しています。ぼくは、食物アレルギーのせいで食べられないものがありますが、食物アレルギーのおかげでまわりの人の思いやりを実感することができたようにも思います。 身のまわりには、たくさんの思いやりがあると思います。例えば、ぼくが鉄ぼうから落ちたとき、友達が心配そうに「大丈夫?」と声をかけてくれました。また、兄が、ぼくの忘れ物に気付いてとどけにきてくれたこともあります。他にも、春と秋には地域の方たちが、通学路に立ってぼくたちの安全を見守ってくださっています。今は、その一つ一つの思いやりに気付き、感謝の気持ちを持てるようになりました。 ぼくは、おたがいを思いやり、その思いやりにおたがいが感謝の気持ちを持つことで、みんなが笑顔になれる明るい社会がつくれると思います。これからも、一つ一つの思いやりに気付き、感謝の気持ちを忘れないようにしたいです。そして、ぼくも、まわりの人を思いやる気持ちを持ち、それを行動で示せるようになりたいです。常任委員長賞★★優秀賞★★

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