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の世代の映画人をつくった。池袋は表現したいものを発表できる場所があり、それが人を惹きつけていました。父親とは生きた時代も違いますが、そういう意味ではトキワ荘と共通するものがあったのではないでしょうか。区長●来年、新庁舎が完成した後、旧庁舎(現庁舎)の跡地を文化の拠点として活用していく構想があります。おととし豊島公会堂が開館60年、区民センターも44年を迎え、新たに興行的に成り立つようなホールをつくらなければいけないとも思っています。また最近では区役所の隣に「アニメイト」さんができて、1日1万人ですか、たくさんの人がいらっしゃる。池袋のまちの人の流れが変わりましたね。マンガとアニメを高野区長(以下区長)●昨年2月に「東京マンガ・アニメカーニバルinとしま」を開催し、同じくマンガ・アニメで活性化をめざす自治体にも多数ご参加いただきディスカッションを行ないましたが、「豊島区にはこんなに良い環境があるのに、もったいない」という厳しい声をたくさん頂戴しました。改めてアニメの原点はマンガ、そしてマンガの原点はトキワ荘ということで、かつてトキワ荘があったまちならではの文化を豊島ブランドとして発信していきたいと考えています。昨年は「鉄腕アトム」放送開始50年だと聞いていますが、手塚先生の御父様(手塚治虫氏)は上京してまもなくトキワ荘に住まわれましたね。手塚眞(以下手塚)●父親はトキワ荘というアパートを、同じ志を持つ仲間が集まる場所として大事にしていたのではないかと思うんですね。私は高校生の頃から映画製作を始めたのですが、仲間たちと集まっていたのが実は池袋だったんです。1980年代の池袋と言えば、西武百貨店にも劇場があり、小劇場があり、映画館がありと一大カルチャータウンでした。特に「豊島区民センター」は学生映画のメッカでした。もう一つ、文芸坐の地下に「ル・ピリエ」という映画だけでなく芝居や音楽もできるフリースペースがあって、学生にも開放してくれたんです。この2つの場所が僕らクリエイターを惹きつけたまち池袋ひ↓在地移転前のアニメイト池袋本店。サンシャイン60に面したこの通りは、女性客がく集まることから通称「乙女ロード」と呼ばれている。 (画:桐木憲一) 人と環境にやさしい「四季を感じられるまち」をめざし、区は住みたいまち、訪れたいまちとしての新たなブランドづくりを進めています。その文化資源の一つにマンガ・アニメがあります。 新しい年にあたり、池袋に本店を置くアニメ専門店「アニメイト」会長 髙橋豊さん、手塚治虫を父にもち、桐木憲一さん原作『東京シャッターガール』の映画監督も務めたヴィジュアリスト 手塚眞さんをお招きし、文化とマンガ・アニメを通じてのまちづくりについてお話しいただきました。新春 対談手塚 眞氏 プロフィールヴィジュアリスト。映画・テレビ等の監督、イベント演出、本の執筆等の活動を行なっている。1999年映画『白痴』でヴェネチア映画祭招待・デジタルアワード受賞。テレビアニメ『ブラック・ジャック』で東京アニメアワード優秀作品賞受賞。の世代の映画人をつくった。池袋は表現したいものを発表できる場所があり、昨年2月に「東京マンガ・アニメカーニバルinとしま」を開催し、同じくマンガ・す自治体にも多数ご参加いただクリエイターを惹きつけたまち池袋「アニメイト」会長ヴィジュアリスト豊島区長「アニメイト」会長ヴィジュアリスト豊島区長髙橋 豊さん手塚 眞さん高野 之夫髙橋 豊さん手塚 眞さん高野 之夫2表現したい人が集まり発信するまちになってほしいですね

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