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平成28(2016)年8月15日広 報とし2作文コンテスト受賞作品作文コンテスト受賞作品 社会を明るくする運動として、ぼくたちが目指すこと。それは、「一人一人が輝けるものをもち、それぞれのちがいを尊重し、多様性が受け入れられる協創の世の中を作ること」ではないかとぼくは考えました。 どうしていじめや非行が起こるのか。それは夢中になって打ち込めるものがないから、輝けるものがないからではないでしょうか。安心できる居場所がなく、人をねたんだり、憂さ晴らしのためにいじめをしたり、非行に走ったりという話を聞きます。 ぼくはケンカをしたり、いじめられた経験があります。先生に解決してもらっても、いつしかぷつりと効果がなくなってしまいます。 ですが、ぼくは自分に合った好きなことをみつけ、打ち込み始めてからというもの、いじめを受けることがなくなり、ケンカも少なくなってきました。 考えられる理由は二つあります。 一つ目は、好きな事に熱中しているうちに、自分の意識が変わり、ケンカやいじめで、からまれるすきがなくなったことです。 二つ目は、ケンカやいじめの相手のぼくへの見方が変わることです。 自由研究などで好きなことを模造紙にまとめ、作った作品と一緒に持っていくとクラスのみんなは「何作ったの?」「見せて見せて。」と言ってくれます。そして、見終わると「すごい!」といって何度も来てくれます。 こんな風に自分に合った好きなこと、つまり、「夢中になれること」をみつけると、人から好かれ、自然とその人は輝いて見えます。いや、輝いているのです!自信も生まれて、いじめる側も手が出しづらくなります。 見た目だけでなく、みんな育ってきた環境もちがうし、考え方、感じ方、応じ方もちがう。ということは、それだけの夢中になれることがあり、それだけのちがった良さがあります。そのちがいをそれぞれがみとめ合い、多様性が受け入れられるそんな世の中になれば、ちがいが大事にされて、一人一人が自分の居場所をみつけやすくなり、だれにとっても安心できる明るい社会となっていくと思います。 「今は競争社会だ。」とよく耳にします。しかし、「競争」が明るい社会を作れるのでしょうか?ぼくは今の社会は、「競争」があまりにも激しすぎると感じています。これからの社会に必要になってくるのは「競争」ではなく、「協創」ではないでしょうか。 ぼくはプログラミングを使ったものづくりをしていますが、よく「同じ考え方、同じ価値観、同じ所属の人が集まっても新しいものは生み出せない。全くちがう考え方、価値観、所属の人が集まってこそ、イノベーション(革新)を起こすことができる。」と聞きます。 これからの社会も同じで、異なる立場、意見、価値観の人が集まって協力しあって社会を作っていくこと、つまり、「協創」が必要とされているのだと思います。 この数年、ぼくは夢中になれることを通し、たくさんの人と出会い、たくさんの経験をして、自分という樹の根を大きくしてきたのだと思います。 夢中になれることは、自信のなかった自分に自信を与え、居場所をも作ってくれました。 好きだからこそ、失敗を乗りこえ、試行錯誤することができました。ねばり強く努力することができ、人として少し成長することができたと思います。 ぼくはこれから、夢中になるものを見つけることがどんなに楽しいか、すばらしいかを周りに知ってもらうことで、社会を明るくしていきたいと考えます。夢中になれるものをみつけ、自分が伸びていくのを感じたなら、非行や犯罪に走ることも少なくなると思います。ぼくが楽しいと感じていることを周りも楽しいと思ってくれるかは分からないけれど、好きな事で伸びていく楽しさを色々な人に伝えていきたい。 そして、「競争」ではない、「協創」の社会を創っていきたい。未来に向けて。  とても大切な命。それは人間だけで物にも植物にもたった一つずつ与えらす。命は一度なくしてしまうともう二度とすことはできないのです。 私が家族と車で出かけて、あるふみる時にこんな話を聞きました。その見女の人が自殺を図り、線路に入ったのうとしたけいさつ官の人が電車にはねらったという話です。たった一つの命をすした女の人は助かり、助けようとしたけはたった一つの命をなくしました。けいみんなが言うには、とてもやさしく正い人だったということでそのやさしさ線路の横に記念碑がたてられました。 私は、その話を聞いて「命の大切さ」あらためて考えなおしました。亡くなっつ官はどんな気持ちだったのだろうかどんなに悲しい思いをしたんだろうか、た人は今どうしているのだろう、どんなごしているのだろう。私だったら自分のて人を助けることができるだろうか、自とおきかえていろいろ考えてみました。と元気に学校に行き、学校はとても楽に帰ったら、家族がいて、みんなでそろを食べたり、話をしたり、出かけたりしていく毎日がどんなことよりも幸せで、ければいけないということに気付きまて命は一人一人に一つずつだけに与えてとても大切な物だからどんなことがあ分からすてようと思ってはいけないと生きている一日一日、一秒一秒がとて物で、命がある間は一生けん命、後悔しに生きないといけないと強く思いました 私は、ようち園の時に一緒に住んであちゃん、おじいちゃんが亡くなり、おとう一人のおばあちゃんが亡くなりましたってもやさしかったおじいちゃん、おば 僕は最近「命」の大切さを実感しました。僕の母は半年ほど前に亡くなりました。理由はガンで医師から余命二年ほどと宣告されていました。 この宣告のことを知ったのは亡くなる1ヶ月前のことでした。夜、いつも通り夕食を食べ終わりお風呂に入り十分ほどしてお風呂を出ました。その時「大事な話がある。」と、とても重い言い方で父に呼ばれました。一緒に兄も呼ばれ話が始まりました、そして宣告のことを知りました。「母さんもう長くない」と言われた時は涙が自然とでてきました。めったに泣かない兄ですら泣くほど悲しく辛い現実でした。また、僕は自分に対する怒りもありました。その怒りとは、自分は母になに一つ助けることが出来なかったことでそのことは今も後悔していて、一生の後悔でもあると思っています。その後、母が亡くなってから僕は最低限のことでしか外に出なくなりました。部活もほとんど行かなくなり、休日は家に居る時間がかなり増えました。また、家に居る時に「自分のせいで母は死んだ、自分は何故生きているのか。」などと考えるようにもなっていました。でもある日言われた父の言葉で変わることが出来ました。「お前らを一生懸命育てるからお前らも一生懸命生きろ。」この言葉を言われて母も一生懸命生きた、だから自分も一生懸命生きなければならないと感じました。また、短い「命」を大切にしなければと思いました。 熊本地震では四十九人もの人が亡くなり住宅の倒壊や、土砂災害などで苦しむ人も多く、中には避難生活中に持病などが悪化し亡くなった人もいて、懸命に生きている人、生きていた人がいるのに、自分は勝手な思いで「命」を無駄にしようとしていたことに気付きました。また、東日本大震災から五年目でもあり、いまだに行方不明の人もいて、「命」の大切さを更に実感しました。僕たち中学生ではいじめの問題などもあり自ら命を絶つ人もいて、そのようなことをなくすことで、社会が明るくなることにもつながると思いました。 僕は今までの経験を活かし「命」の大切さを頭の片隅に置いて生活していきたいです。また、僕には、自分より年下のいとこなどもいるのでこのことを伝えたいです。そして今ある家族との時間を大切にし、自分の「命」も大切にしたいです。 僕は、日々犯罪や非行のない安全で安しのできる町に住みたいと願っています。心で安全な町をどうしたら実現できるのか作文を書くまで正直考えたことはありませきっと自分ではなく、大人がそうした町を作のだと考えていました。あの話を聞くまでは 僕の祖父の姉は、保護司という仕事す。夏休みに祖父の家に遊びに行ったとず僕に様々な話を聞かせてくれます。 ある時、僕に保護司という仕事についれました。「大貴君、保護司というのは、罪を犯してれど、一生懸命償おうとしている人を日々困った時に助けてあげる仕事なの。だけたちを本当に助けてあげられるのは君よ。」僕が助けるというのはどういう意味なのだの時は話の意味がよく分かりませんでした 今から三年前、突然祖父から連絡が保護司のおばさんの旦那さんが交通事故ったというのです。スピードを出していた車で走っていた旦那さんと衝突したという事運転していた人は携帯電話を操作しなが注意を払っていなかったのです。残されたおばさんの悲しみは言葉では表せないもの 僕自身、この話を聞いて、どうして、いつめに尽くしているのに、こんな目にあうの感じたことを覚えています。 その後、一周忌の時に、保護司のおばい、おばさんが悲しみをこらえて僕にこんなくれました。 「大貴君、おばさんも事故の直後は、いとても大切な命。それは人間物にも植物にもたった一つずつ★常任委員長賞 社会を明るくする運動として、とそれは「一人一人が輝ける★推進委員長賞僕は最近「命」の大切さを実感は半年ほど前に亡くなりました★推進委員長賞僕は、日々犯罪や非行のない安しのできる町に住みたいと願ってい★常任委員長賞夢中になれるもので「協創」の社会を「命」の大切さ僕が★  ★★  ★★  ★★  ★千川中学校 2年生 川崎 廉さんかわさき  れん池袋小学校 6年生 水野 優希さんみずの   ゆうき中学生の部中学生の部小学生の部小学生の部1,235作品496作品

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