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日々変貌を遂げる池袋の玄関口巨大ターミナル「池袋駅」の100年以上に及ぶ歴史を少しだけ振り返ってみましょう池袋駅物語発行:豊島区編集:政策経営部広報課〒171-8422豊島区南池袋2-45-1 TEL 3981-1111(代表)ホームページhttp://www.city.toshima.lg.jp/令和元年(2019年)9月11日発行池袋エリア特集号特設WEBサイトがオープン!池袋エリアコミュニケーション 11月から真っ赤なIKEBUS(イケバス)が走る池袋。2020年に向けて新しく動き出す池袋をもっと楽しむための情報WEBサイトができました! 気になる情報を見つけたら、赤いバスに乗って、ちょっと赤いものを身に着けて、赤が似合うまち・池袋を巡ってみてください。 あなただけの「# IKEBUKURO RED」を見つけて、SNSに投稿してくださいね。https://ikebukuro.redいろいろなライフスタイルを楽しむための情報発信サイトhttps://toshima-scope.city/池袋エリアの情報を手に入れようhttps://toshima-theatre.jp/東京建物 Brillia HALL(豊島区立芸術文化劇場)History_1 池袋駅誕生秘話開業当時の池袋駅(写真提供:鉄道博物館) 池袋駅開業は1903(明治36)年。日本初の民間鉄道会社として東北本線や常磐線を運営していた日本鉄道が目白・田端間を結ぶ新線(豊島線、現在の山手線)を計画した際、計画路線が巣鴨監獄(現在のサンシャインシティ)の南側をかすめる計画であったこと、分岐点となる目白駅の拡張が難しかったこと、また周辺住民の反対もあり、当初の計画が変更。巣鴨監獄の北側を迂回する形で目白・板橋間に新たな駅を設置することになり、池袋駅が誕生しました。また、豊島線の開通に伴い大塚駅・巣鴨駅が、そして1910(明治43)年には駒込駅が開設されました。 そして、こうした交通網の整備が、池袋をはじめとする沿線各地域の都市化につながっていったわけですが、開業当初の池袋駅周辺は武蔵野の面影を色濃く残す田園地帯で、木造駅舎のほかに目立った建物もなく、雑木林にはタヌキも住んでいたとか……。開業当初の池袋駅の乗降客数は年間でも約5万人程度。それから100年の年月を経て、現在は1日平均乗降客数約265万人にのぼる巨大ターミナル駅へと変貌を遂げたのです。歴史にもしはありませんが、もしあの時、計画路線が変更されていなかったら、池袋駅も、そして副都心池袋の今の姿も幻となっていたかもしれません。駅東西を挟み、壁のように建ち並ぶ百貨店(写真上側が西口) “不思議な不思議な池袋~”で始まる、ちょっと懐かしいCMソングでお馴染みの池袋七不思議(7つもあるのでしょうか?)のひとつ。池袋駅にはJR(山手線・埼京線・湘南新宿ライン)・東京メトロ(丸ノ内線・有楽町線・副都心線)・西武池袋線・東武東上線の8路線が乗り入れていますが、なぜか西武線が駅の東口に、東武線が西口に接続しています。また、東口に西武池袋本店、西口に東武百貨店池袋店があるため、池袋に初めて来た人は、かなり混乱するようです。駅の東口に行こうと思って、東武東上線や東武百貨店の名前につられて行ってみたら西口だったとか…、初めて池袋に来た人の「あるある」かもしれませんね。 東武東上線は1914(大正3)年の開通ですが、当初は東上鉄道線という路線名でした。ゆくゆくは東京-上州間を結ぶ計画であったことから付けられた名称です。一方、1915(大正4)年開通の西武池袋線も、当初の路線名は武蔵野鉄道線でした。そして池袋駅を壁のように囲む両百貨店も、東武百貨店の前身は東横百貨店、西武池袋本店の前身も武蔵野デパート(さらにその前は菊屋デパート、現在のパルコは丸物百貨店)という名称でした。時を経て、それぞれ東武・西武と名称が変わり、東西の逆転現象が生じたわけですが、まさにカオスな街・池袋を体現しているといえるかもしれません。東が西武で、西、東武~♪History_2 History Column

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