20201115_gougai
3/4

★★★★色になるはずだった令和2き、新型コロナウィルス感なった。に学校へ行けなくなった。6年生は卒業してしまった。してもらうことも、卒業生とこともなく、卒業式の日は慢を続けた自宅待機が明緊急事態宣言が出た。最迎える第一歩の入学式に式は終わっていた。6年生になった喜びを分か定では連休明けまでに何はずだったが、その給食は毎日の献立には「牛乳」と書とになっていることは理解のは牛のことだった。。事前学習で、私の班は牛病気、牛乳が乳製品に加工じ、命に感謝をする学習がむしって顔に近づけるとムときどきこちらを見ながら。00日間、乳を出し、乳を出乳牛の寿命といわれる5、6は乳が出なくなると肉牛ににもなるという。悲しかったになったら、私たち人間がていろんなことを頑張れば、のかなと思った。なった牛は年齢が若くても殺処分されてしまうということも学んだ。 2016年の熊本地震では搾乳場が停電。酪農家は自家発電機を使って搾乳を続けた。牛は毎日搾乳しないと病気になるため、搾乳した牛乳を2日間で13トンも廃棄したそうだ。 それでも牛の飲み水は不足し、道路の損壊により輸送もストップ。飼料は届かず乳の出が悪くなったたくさんの乳牛が殺処分された。 今回の休校で給食が中止になったということは、私たちが飲むはずだった牛乳は、牛はどこへいったのか。立科で草を食べていた乳牛はどうしているのか。そればかり考えていた。 「ご家庭の牛乳を1本多く買っていただければなんとか牛を殺さずに済みます」 ニュースで酪農家の人が必死に訴えていた。私は母に「牛乳を買うときは1本多く買って。1杯飲むときに2杯飲むから」と頼むことしかできなかった。 4月の終わりごろ、「給食用牛乳を加工、販売へ」という見出しが新聞に躍った。牧場周辺の人が協力してヨーグルトやミルクバターを作ったり通販で売ったりしているそうだ。 今、三密を避け、都内のカフェは閉まっている。私も母とよく行くが、カフェが好きな人は多くいつも混んでいる。飲み物を作る工程を見ていると、頻繁に冷蔵庫から牛乳を取り出している。ここでも牛乳は大活躍なのだ。でも今、カフェは閉まっている。冷蔵庫の牛乳はどうなってしまったのか。牛は・・・。 そこで登場したのが「おうちカフェ」。「ダルゴナコーヒー」「ダルゴナココア」だ。家でカフェのような飲み物が作れると大人気。 作り方は、インスタントコーヒー(またはココア)、お湯、砂糖を小さじ2杯ずつペットボトルに入れ力いっぱい振ると、クリーム状の泡ができる。これをグラスに注いだ牛乳にのせたらできあがり。見た目も味もカフェ感満載だ!これで牛乳の需要が増える! いろいろな人の協力と知恵で牛は死なずに済んだだろうか。学校が再開され、またみんなでおいしく給食を食べられる日まで、生きていてくれるだろうか。 自分の命も人の命も牛の命もみんな大切な命。すべての命を守ること、与えられた命に感謝しながら生きていくことの大切さを自宅で学び、6年生の1学期が始まった。人の命、牛の命、大切な命私は、「社会が明るくなる」とは「みんなが笑顔になっている」ということと同じだと思う。なぜそう思うのかというと、自分のした少しの行動でみんなが笑顔になり、その場が明るくなったという経験をしたことがあるからだ。その経験とは、私が小学5年の1学期のことだった。私はその日、遠出のために父と電車に乗っていた。その電車は、立っている人はいなかったが座席が2、3席空いているくらいの人の数だった。私と父は座席にすわり、席順は、左から父、私、そして若い女の人が私の右どなりに座っていた。父の左どなりの席は空いていた。乗ってから5分くらいたつと、駅で別の若い女の人が入ってきた。すると、私の右どなりにいた女の人の目の前に立った。どうやらその女の人2人はこの駅で待ち合わせていたらしく、2人でおしゃべりをはじめていた。もちろんのこと、立っている女の人は座りたいのだと思う。そして、私がどけば、女の人2人は並んで座り、しゃべることができる。そこで私はとっさに席を立ち、「ここ座っていいですよ。」と言って席をゆずり、父の左どなりの空いている席に座った。すると、「す、すみません。」という声が聞こえた。立っている女の人の声だった。そのすぐ後、「ありがとうございます。」という声が聞こえた。今度は座っていた女の人の声だった。私はそもそもお礼を言われるほど大したことはしていないと思っていたので、言われたときはびっくりしたし、うれしくなって思わず、「ありがとうございます。」と小さな声で言った。すごくスッキリした気分になった。私が我に返ると、なんとなくその車両の人たちが私のことを見ている気がした。きっと小5の私が若い女の人に席をゆずったことにおどろいたのだろう。他の人にも認めてもらえた気がして少しほこらしかった。そして、その10分後、女の人2人が電車を降りた。降りるときも、「さっきは、ゆずってくれてありがとうございました。」「ありがとうございました。」とお礼をしてくれた。私は笑顔で、「どうも」とこたえた。すると、少しだけだけれどその車両全体が明るい雰囲気になった気がした。このように、自分のした少しの行動で、すてきな事が待っていると思うと、「がんばってみよう!」と思うだろう。でも、私はあとから、「なんであのとき、とっさに立てたんだろう?」と思った。その疑問をもったまま、私は次の日池袋の塾に行くために電車に乗っていた。そして、その時私の疑問が解ける出来事が起こった。それは、昨日の自分と同じ状況の大人を見た、ということだ。すると、その大人の人は私と同じように席を立ち、手で「どうぞ」とやっていた。そう、私は日頃から電車の中でこのような心の優しい大人を見てきたのだ。私はいつも少なくとも1ヶ月に12回は電車に乗る。そしてそんな大人を見ていると、いつでも心の中で「私もあんな大人になれたらなぁ」「すてきな人だなぁ」と思うのだ。だから私は、このような経験をしたことではじめに述べたように、「社会が明るくなる」は、「みんなが笑顔になっている」と同じだと思った。そして、今、小学生のうちからするべきことは「すてきな大人を探す」ということではないだろうか。すてきな大人を見つけて、その人のいいところをまねすれば、人に席をゆずるくらい、簡単になると思う。逆に、「悪い大人」を探すことも重要だと私は思う。例えば、テレビを見ていると、犯罪のニュースがながれることがある。そんなニュースこそ、あえて耳を傾けてみてほしい。そうすれば、「こんな大人にはなりたくない!」と強く思うだろう。だから私は、大人たちを参考にして、自分のいいところ・悪いところを見つけて、たくさんの人を笑顔にできるような大人になりたい。みんなを笑顔に優秀賞すか?かけがえのな人一人が大切にしなえがあると思います。てしまうということはには、私たちと同じよいる人の他、私たちではなく生きている潔な水が飲めず、体人がいたり、小さなできず、幼いうちに。こういった世界のNSでの誹謗中傷に。最近の話ではプロの誹謗中傷により、来事がありました。人からの些細な言葉めてしまうのだと、言になってしまうのだます。相手に顔を知れていないからととは立派な犯罪だと向かって言えない言手を傷つけるよりも、合ったり、支え合ったの正しい使い方だとSの使い方を見直しば、SNSは誹謗中傷見を出し合い、励ましれば、逆に人を助けけられることもあると思います。そうすることによって人と人が助け合って暮らしていける世の中をつくっていけるのではないかと考えました。私は、学校で起こるいじめも誹謗中傷と同じだと思います。例えばよくある陰口などです。直接相手に言うことができないからと言って陰で言うというのは直接相手に言うよりもひどいと思います。学校では、気が合う人ばかりと生活している訳ではありません。なので自分と意見が異なる人もたくさんいると思います。でも、自分とは違うことを理由に陰口を言うことによっていつのまにか相手が傷ついてしまったり、自殺まで考えてしまうことだってあります。自分が悪気がなく言った言葉や、とってしまった態度のせいで相手がどう思うのかしっかり考える必要があると思うし、いじめも他人事では絶対ないので、一人一人が相手の事をよく考えるのと、思いやる気持ちを大切にしていくことが、もっとよりよい学校生活を送ることにつながるのではないかと考えました。見知らぬ人からのちょっとした言葉。例え一言でも簡単に傷つく心。みなさんは人を傷つけるために酷い言葉を出しますか?それとも相手を励ましたり、支えるために優しい言葉をかけますか?言葉には相手を支える力があります。人を殺すために使うのではなく、お互いが頼り、頼られる関係を築くために人の心を支えることができる素敵な言葉を使ってみませんか?命の重さと大切さ小学生のころから、この社会を明るくする運動の作文コンクールに参加しています。このコンクールの時期がくると毎回、私は「社会を明るくするために、自分はどんなことができるだろう、明るい社会とはなんだろう。」と自分なりに考えます。今まで社会を明るくするために私は間違っていることをした人には注意することが正しいと思っていました。でも中学生になり、自分の考え方が変わっていきました。私は小学生のころから委員会の委員長などをやっていたこともあり、自分の考えを言葉にし相手に伝える事が得意でした。しかし、この世界にいる全員が自分の考えを伝えることができるとは限りません。反対に他人に自分のやっていることが間違っていると言われる、自分が良いと思ってやったことを否定されると、少しイラッとしませんか。私はします。自分が努力して考えた結果にしたことを他人に口だけで否定されたら、「それなら、あなたがやれば?」と思ってしまいます。もちろん、社会やみんなと決めたルールを破った人がいたら、その人は言いわけをせずに謝るべきです。私が考えたのは「だれかがポイ捨てをしていたら注意するのではなく、かわりに自分が捨ててあげる」という例です。人に話しかけにくい人でも言葉にするより行動する方が簡単にできるのではないでしょうか。そして、このポイ捨ての例だと自分がごみを拾い、捨てている姿をだれか一人は見てくれるはず。もちろん何度も行動していても一人だけかもしれません。自分の行動を見てくれた人がまねをして、またそれを見た人がまねをしてと続けば、その周りは多少明るい社会に近づくと思います。少し前にも日本人がスポーツの試合会場に落ちているごみを拾い、それを見ていた人が世界に発信したというニュースがあり、私にも似た出来事がありました。私が学校に通常の登校時間より早く登校した時にある先生が落ち葉はきをしていて、それを見た私が手伝っていると、登校してきた私の友人が「さすがだね。私も手伝うよ。」と言ってくれたことです。とてもうれしかったです。そして、この言葉をたくさんの人が言ってくれ、落ち葉はきを楽しみ、終わらせることができました。このように自分から動くことで周りの人を動かせる可能性があります。人に言われて行動するのではなく、自分で考えて行動したり、人を見て学んで行動したりする方が、自分や周りのモチベーションが上がるのではないでしょうか。私はこれから、この作文に書いたことがうそにならないよう、人と接する時は、口だけでなく行動にも表していきます。そして、この私の作文を読んでくれた人、一人でも学んで、自分から行動して、社会が少しでも明るく近づいてくれますよう願っています。言葉にするより行動する優秀賞仰高小学校6年生      岩井 まゆさんいわ い   まゆ巣鴨小学校 6年生    石田 妃里さんいし だ   き り駒込中学校 2年生     池田 紗也さんいけだ   さ や西巣鴨中学校 2年生     金髙 史香さんかねたか  ふみか

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る