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江戸川乱歩(1894〜1965年)が、46回目の引越しで池袋3丁目(現西池袋5-15、立教大学に隣接)に移り住んだのは昭和9年7月のことです。敷地内には大正10年築の主屋と大正13年築の土蔵があり、乱歩はこの土蔵が気に入って、昭和40年に71歳で死去するまでの31年間、土蔵を書庫として、一時は書斎とするほど愛用し、ここから「怪人二十面相」・「少年探偵団」シリーズなど数多くの名作が生まれました。土蔵の中には、乱歩の創作活動の源となった近世文学から海外ミステリーまで数万冊の蔵書がほぼ当時の状態で保存されており、大変貴重な資料となっています。旧江戸川乱歩邸外観旧江戸川乱歩邸展示の様子(撮影当時のもの)文化によるまちづくりを推進するため、毎年11月1日を「としま文化の日」、11月1~7日を「としま文化推進期間」と定め、様々なイベントを開催します。イベントの詳細はイケ-サークルホームページ参照か問い合わせてください。江戸川乱歩は、昭和9年から亡くなるまで池袋に暮らしました。戦時中には池袋三丁目丸山町会(当時)の副会長を務めるなど、それまで暮らした45か所とは違い、地域や人と深く関わった31年間でした。ところが池袋は、「少年探偵団」シリーズをはじめ、乱歩作品の中にはほとんど登場しません。あくまで乱歩にとって作品を生み出す場所、生活を営む場所だったのでしょうか。 戦後は、探偵雑誌「宝石」の創刊に関わり、江戸川乱歩賞の創設に尽力するなど、若手の育成やミステリー界の発展に大きく貢献しました。作家や編集者など多くの人が乱歩邸を訪れ、そういった集まりから「土曜会」などが誕生しました。そこには一番に周りを気にかけ心配りを欠かさない乱歩の姿があったそうです。しかしどんなに有名になっても、「江戸川乱歩」という名前を恥ずかしがったという乱歩は、門の表札はずっと本名の「平井太郎」のままだったといいます。幻影城と呼ばれた土蔵乱歩自身が設計した応接間写真提供:立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター土蔵内部乱歩の蔵書乱歩旧蔵の自著

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