20211215_gougai
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★★★★どんなことができるか、でいる社会は、明るい明るく住みやすい社会だろうか。流行し始めてから、気づの今ごろは、まだ学校、退屈な日々を過ごしてなど、ぼくが当たり前ものは、店頭から姿を家でリモートワークをしうことは、めったになく長先生にも会えなく、朝学校に行けば、正門よう。今日も元気そうだのに、なんというかメリがした。友達、学校、先大部分で、毎日当然にだ。マスクやトイレットゃない。こういうものが着かない気持ちだった。うに、プリントの宿題がのはなかなか大変だ。真にとって比べたりしとなくつまらなかった。聞いてくれる人はいなら何て言うかな」「先生う」と考えてしまう。、中休みはどういうチーがら決めることもできな感じなのだ。て、お互いの目を見て、って成り立っているもしたのだった。もちろん、クロームブックやタブレットでなんとか学習をつなげることはできる。なんとか自分の言いたいことを伝えることはできる。ないよりは百倍いい。 でも、相手のうれしそうな表情は、ぼくの心を一しゅんで、ぱっと明るくしてくれる。悔しいときや悲しいときに流す涙は、言葉以上のものを伝えてくれる。 直接かけ合う言葉も大切だ。「ありがとう」「ごめんなさい」の言葉や、朝の気持ちの良いあいさつ、ご飯を食べるときの「いただきます」は、相手に対する感謝やおわびの気持ちを伝えることができる。 そういう周りの人との直接のやりとりが、ぼくの心を明るくしてくれるのだ。だからぼくは、直接会って顔を合わせて話し合ったりすることが、リモートよりも大切なものを生み出してくれると思う。 ぼくの住んでいる社会でも、声をかけ合って、笑顔を増やしたら、一人一人の心が通じ合って、ずいぶん住みやすいものになるだろう。 そういう明るい社会の実現をぼくは目指していきたい。「よりそい合ってできること」残念ながらいじめはこれからもなくなる事がないと思う。なぜなら、この広い世界の中でも人種差別・ヘイトクライム(人種・宗教などに対する差別意識を動機とする犯罪の事)の悲しいニュースを、毎日目にするからだ。国籍や肌の色の違いによる差別、言葉の違いによる差別、病気を抱えている事による差別、見た目の差別。挙げればいくらでも出てくる。そしてどれも身近だ。大人も子供も、いわゆる普通と違う人や自分と違った人を受け入れられずにいじめが起きている。でも、もしも他の人達が全部自分と同じ考え方や才能を持っていたとしたら?私と同じリズム感を持っている人だらけだったら、この世界には音楽という文化はなかったのではないか。私と同じ絵のセンスだけしかなかったら、ゴッホは確実にこの世に存在していなかったし、スポーツに関してはもう、考えたくもない。人は何かしら他人とは違った特徴を持っている。だからこそ、この世界は楽しい事にあふれているし、毎日が新しいのではないか。私と違う才能を持った人達は、歌詞に思いを込めて、有名スポーツ選手はテレビで発言して、いじめの痛みを人々に発信できるけど、私の立場ではいったい何が出来るのか?きっとこれだと思う。一人一人の人に興味を持って、その人の事を知ろうとする事。私の小学校では毎年クラス替えがある。1年かけて仲良くなった友達と離れて、ほとんど話した事のない人と同じクラスになった4月は本当にどうしようかと毎回思っている。人見知りの私は、話しかけられるのを待ってみたり、恐る恐る話しかけてみたり、人の会話に紛れ込んでみたり、あの手この手で相手との距離を縮めてみる。すると、目立たないのに面白い人・算数が特別得意な人・絵がマンガ家みたいに上手い人・みんな知れば知るほど個性的で、誰にも真似できないものを持っている人ばかりで、私もそうなりたいといつも思う。そんな周りの人達をいじめたいと思うわけないし、その人達がいじめに巻き込まれて辛い思いをして欲しくないと、心の底から思う。それから、いじめようと思ってなくても、無意識にこの大切な人達が傷つく言葉を言ったり、行動したりしないように気を付けたいと思う。それぞれが一人一人の人間を知り、価値をある大切な一人として尊重し合って、いじめが少しでも減っていけばいいなと思う。だって、いじめがいけない事だという事は、ご飯を食べないと生きていけないのと同じくらい当たり前な事なんだから。ご飯を食べる事が関係ない人間なんていないはず。自分に関係ない事だと思わずに、みんな誰もが当たり前に幸せな人生を送れるような世界になってほしい。マザー・テレサがこんな言葉を残している。「小さな事でも、大きな愛を込めてやる事なら出来る。」大それた事は出来ないけれど、周りにいる人達を思いやるという小さな事から、私は始めていきたい。今の自分にできる事優秀賞も、相手にしない。そし声をかけられたなら、学ころ、全校集会で、校長くは、なぜ声をかけられいのか、分かりませんでを知らない人に教えるきこまれてしまうかもし、「としま学校安全安心れは、豊島区内での不便利な仕組みで、実際、ぱんに届きます。そのものや、「あとをつけら番多いのですが、「知らものです。そして、声かに帰りなさい。」や、「どん者情報なのかと思う心メールを見ながら、されるのか。これじゃあ、知らない人に声をかけり道、つえをついたおばわれていたことを守る、ぼくは立ち止まって、た。なぜなら、あやしいっているように見えたかおばあさんは、と言ってくれました。このように、声をかけてくる人が必ずしも悪い人とは限らないのです。もしかしたらこのおばあさんのように、本当に困っているのかもしれません。それを無視して学校や親に報告しろとは、一体どういうことでしょう。ぼくはこう考えます。当時、ぼくは高学年で、良い人と悪い人の区別も少しはできました。しかし、低学年の子にとっては、難しいかもしれない。それなら、声をかけてくる人を無視するという教えにもなっとくできます。一方、声かけによって犯罪がくい止められることもあります。例えば、ふりこめさぎです。お年寄りが、コンビニで高額のギフト券を買おうとしているのを店員が不しんに思い、声をかけて、そのお年寄りが犯罪のひ害にあうのを防いだのです。また、けいたい電話で話しながら、慣れない手つきで銀行のATMを操作しているお年寄りに声をかけ、そのお年寄りが犯罪のひ害にあうのを防いだ銀行員の話もあります。このように、声かけ自体が悪いわけではないのです。ぼくの街には防犯カメラがたくさんあり、それが人の目の代わりになっています。それはそれで安心できますが、住んでいる人が他人に無関心で、声かけのない社会が本当に安全で明るい社会かというと、ぼくはそうは思いません。やはり、困った人がいれば声をかけ、みんなで協力して助け合える社会がいいなと思います。「知らない人に声をかけられても無視するように。」と言われ、知らない人と関わらないようにして育ったぼく達の世代が、先程のコンビニ店員や銀行員のような行動をとれるでしょうか。声かけイコール悪という考えが染みついたぼく達が、そんな行動をとれるでしょうか。いや、多分できません。困っている人を見たら積極的に声をかけられる大人になるためには、声かけの大切さを理解し、それを実せんするということが大切だと、ぼくは思います。ぼくはそういう大人になるために、これからは、困っている人を見かけたら、積極的に声をかけていこうと思います。声かけの大切さ子供の頃からよく行っている百貨店の靴売り場に、緑の箱が設置されていることに気づきました。その緑の箱は、アフリカの子供達に靴を寄付するための箱だと知り、はかなくなった靴を寄付することにしました。何回か寄付しているうちに、靴の行方に疑問をもち、調べることにしました。すると、アフリカの子供達の命を救うことに繋がっていると知りました。アフリカには、靴を入手できず、はくことができない子供達が多くいます。靴をはかずに整備されていない道を歩くと、足の小さな傷から寄生虫や菌が入り、破傷風などの感染症を患い、命を落としてしまうことがあります。また、足を切断してしまうこともあります。このように、靴をはけずに生活している多くの子供達が命を失っています。そんな子供達を救うために私にできることは何だろうと考えました。それは、引き続き寄付することです。私はある日、こんな記事を読んだことがあります。アフリカに靴を運んだ日本人が現地の子供達一人一人にサイズの合った靴をはかせると、みんなはいた瞬間から笑顔になって校庭や学校の周囲をくるくると走り回ったという記事です。靴をはくことが当たり前である私達には想像もつかないことでしょう。一方で日本では、約8割の人がはけるけれどサイズが合わなくなった靴や、はけるけれどデザインが古くなった靴等を廃棄処分しているのです。これらの靴がアフリカの子供達の手元に届けば、より多くの命を救うことができるでしょう。他にも私達にできることがあります。一つ目は、現状を知り、興味・関心をもち、発信していくことです。二つ目は、フェアトレードの商品を買うことです。フェアトレードとは、発展途上国の原料や製品を適正な価格で継続的に購入することであり、それによって、発展途上国の人々の収入が安定することです。家庭の収入が安定することで、子供が家計を支えるために働かずに済みます。すると、労働の時間を、教育を受けるための時間にまわすことができ、自分達の命を守るための知識を得ることができます。例えば、衛生問題について学ぶ人がいれば、その国の医療や衛生管理が充実し、多くの人の命を救うことに繋がるでしょう。命とはかけがえのないものです。命の大切さというのはみんな平等であるべきだと思います。私よりも年下の子供達が、今の日本では当たり前の靴をはくことがきなかったことによって、命を失うことがあると知り、とてもショックを受けたと同時に、知れて良かったとも思いました。これからも世界で起きている命についての問題に注目していきたいと思います。私一人が靴を寄付するという行為は、非常に小さなものであっても、支流が集まり、やがて大きな川となるように、同じ思いをもった人が多く集まれば、やがて大きな力になると思います。その輪が広がることで、これらの行為が当たり前の社会となり、興味・関心をもち続け、行動に移すことが何よりも重要だと私は考えます。「一足の靴が命を救う」優秀賞仰高小学校6年生      渡邉 櫂さんわたなべ  かい高松小学校 6年生    藤間 浬杏さんとう ま     り あん千登世橋中学校2年生      青木 一晃さんあお き   かずあき池袋中学校 3年生  中丸 玖怜亜さんなかまる   く れ あ

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