20220101_1955
3/4

問申HPEMFAX保問い合わせ先 申込み先 ホームページ Eメール ファクス  フリーダイヤル 保育あり ※費用の記載がない事業は無料です問申HPEMFAX保3を伝つたえたい。ピンチを乗り越えてやる、というエネルギーで区長を続けてきました。野中●共きょうつう通するものを感かんじます。私はスポーツという舞ぶ台たいにいますが、スランプに陥おちいったとき、「今いまは、結けっ果かが出でていないけれど、未み来らいは大だい丈じょ夫うぶ」という根こん拠きょのない自信があって、努どり力ょくを続つづけて結けっ果かを出だしてきました。だから「今に見みてろと笑わらってやれ」という言こと葉ばを大たい切せつにしています。高野●野中さんの言葉のように、私も「今に見てろ」でやってきました。野中●間ま違ちがいないですね!国こっきょう境と言こと葉ばを越こえるスポーツやアートの力ちから野中●私は16歳さいから世せ界かい大たい会かいに出しゅつじょう場し始はじめました。クライミングの選せん手しゅはみんな仲なかが良よく、コミュニケーションをとりながら課か題だいに挑いどみます。日に本ほんも海かい外がいも変かわりません。それもクライミングの魅力ですね。高野●国境を越えた交こうりゅう流はスポーツの魅力ですね。アートも同どう様ようです。豊島区は住じゅうみん民の1割わりが外がい国こく人じんです。その特とくしょく色を活いかし、アートによって魅力を高たかめる「国こく際さいアート・カルチャー都と市し」のまちづくりに取り組んでいます。私には豊島区を世界に通つう用ようするまちにしたいという野や望ぼうがあります。野中●すごいですね。高野●2019年ねんには「東ひがしアジア文ぶん化か都と市し」に選えらばれ、中ちゅうごく国の西シー安アン市し、韓かん国こくの仁インチョンこういきし川広域市と交流しました。西安は人じん口こうが1,200万まん人にん、仁川は300万人です。豊島区は29万人。でも文化交流に規き模ぼは関かん係けいありません。国境がなく、言葉も不ふ要よう。文化は未み来らいをつくり、平へい和わをつくるものです。野中●東京オリンピックでクライミングを観みた方々から「選せん手しゅ同どう士しがたたえ合っているのがすばらしかった」とうかがいました。私は幼おさない頃ころからこの世界にいるので当あたり前まえでしたが、「たしかに!」と思いました。ジムで仲なか間まと練れんしゅう習をしているときも、競きそい合あうというより協きょうりょく力しあっているんですね。アドバイスをしてあげたいと自し然ぜんに思います。そういう気き持もちやコミュニケーションがあふれている競技です。高野●本ほん当とうにすばらしいことです。スポーツを通つうじてたたえ合い、喜よろこびを共きょうゆう有する。ぜひ、その感かん覚かくは子どもたちにも持もってほしいですね。夢ゆめに向むかって “楽たのしむ気き持もち”が大たい切せつ高野●今、子どもたちにどんなメッセージを送おくりたいですか?野中●本ほん当とうに一ひと人りひとり違ちがうし、同おなじ子はいないと思おもいます。色いろ々いろな目もくひょう標があって、色々な思いがあります。大おおきい夢ゆめもあれば、ささやかな夢もある。夢や目標に全ぜんりょく力で向むかい、とにかく楽たのしんでほしいです。私も「クライミングが好すきで楽しい」という気持ちが根こん本ぽんにあります。その楽しさが果はてしなく続つづいているので、さまざまな辛つらさや困こん難なんも乗のり越こえられるし、その過か程ていすらおもしろくなってきて、クライミングがさらに楽しくなる。楽しむ心こころが一いち番ばん大だい事じです。高野●私もそうです。区長をやっていて本当に楽しい。私には「子どもたちが誇ほこれる豊島区にしたい」という夢があります。そう強つよく思ったのは2014年に「消しょうめつ滅可か能のう性せい都と市し」のレッテルを貼はられたときです。野中●初はじめて知しりました。消滅可能性都市とは何ですか?高野●30年後ごに若わかい女じょせい性が少すくなくなって人じん口こうが減へり、自じ治ち体たいとして成せい立りつしなくなる可能性が高たかい都市のことです。東京23区では豊島区が唯ゆい一いつ、消滅可能性都市だと指し摘てきされました。すごい批ひ判はんを浴あびました。でも、そのピンチこそがチャンス。だからこそ大だい胆たんなまちづくりを進すすめられました。今は誰だれも豊島区が消滅するなんて思っていません。野中●逆ぎゃくてんしょうり転勝利ですね。高野●野中さんの「今に見てろと笑ってやれ」で言えば、まだ笑うまできていませんが、「今に見てろ」の気持ちでがんばっています。野中●今のお話はなしを聞きいて、あらためて、豊島区出しゅっしんしゃ身者としてオリンピックでメダルがとれてよかったです。豊島区がほめられる!高野●本ほん当とうにありがたい。イメージアップに大だい貢こう献けんしていただいています。どうぞこれからもよろしくお願ねがいします。野中●こちらこそ、よろしくお願いします。▲野中生萌(のなかみほう)1997年ねん生うまれ、豊島区出しゅっしん身。 8歳さいのときに父ちちの山やま登のぼりのトレーニングがきっかけでクライミングに出で会あう。 2014年、16歳でボルダリングワールドカップに日に本ほん代だいひょう表として選せんしゅつ出。 2015年、年ねん間かんワールドカップランキング3位い。 東京2020オリンピック競きょうぎ技大たい会かい·スポーツクライミング 女じょ子し複ふく合ごう 銀ぎんメダリスト。練れんしゅう習で使つかっていた、立りっきょう教大だい学がく池いけぶくろ袋キャンパス内ないにあるスピード種しゅ目もく専せん用ようの壁かべ。区くや立教大学と連れん携けいし、自みずから寄き付ふを集あつめ、平へい成せい30年ねん12月がつに23区くで初はじめて設せっ置ちされました。高たかさ15メートル、幅はば3メートル、斜しゃ度ど95度ど。オリンピックは、タイムを競きそう「スピード」、課か題だいをいくつ登のぼれたかを競う「ボルダリング」、15メートルの壁かべをどこまで登れたか高たかさを競う「リード」の3種しゅ目もくの総そう合ごうポイントで順じゅん位いを争あらそいます。令れい和わ3年ねん11月がつついたち1日のとしま文ぶん化かの日ひ式しき典てんでは、豊と島しま区く文ぶん化か栄えい誉よ賞しょうを受じゅしょう賞しました。代だいひょうしゃ表者として、力ちからづよ強いメッセージをいただきました。©森清

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る