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広報としま特集版 令和4年(2022年)2月号 No.19584豊島区役所 〒171-8422 豊島区南池袋2-45-1  ホームページ https://www.city.toshima.lg.jp/▲携帯電話がつながらず、公衆電話に人が殺到。東日本大震災からまもなく11年になりわたしたちはあの時の記憶を風化させあの時なにが起こっていたのか……。■問防災危機管理課管理グループ☎3981▲中池袋公園 発災直後の様子。人であふれかえっている状態。▲池袋駅東口階段帰宅困難になり、階段に座り込む人々。▲区役所旧庁舎1階ロビー 避難し、テレビニュースに見入る人々。▲池袋駅西口 地下通路から地上に続く出口付近。 発災当日の池袋駅周辺の様子被災地へ救3.11を忘れない▲物資の積み下ろし応援物資を積んだトラックが到着したのは夜間。次から次へと到着する物資を倉庫に運び込むために、休むことなく働き続ける住民▲津波にのみ込まれた車両の見るも無残な車両の数々。原すさまじい力を感じさせる一▲津波にのみ込まれた校舎と校舎の3階部分も津波が到達壁がすべて流され、骨組みが当時の様子を職員に聞きました経験したことのない大きさと長さの揺れで、庁舎の一部ではキャビネットなどが倒れ、来庁者の方と職員は屋外に退避しました。その後、電車が運休し、ホテルもすぐに満室になってしまったようで、帰れない方々が駅の階段に座り込んでいたのが印象的でした。電車以外の手段で帰ろうと、バス停には長蛇の列、徒歩で帰るために路上の案内地図の前で道を確認している様子も見られました。当時はスマホも普及していなかったため、案内地図や紙の地図が頼りでした。また、食料を確保しようとしたためか、まちのコンビニエンスストアの棚がほとんど空になっていたのも初めて見る光景でした。区役所にも大勢の方が避難してきたため、当時の区民センターや公会堂を避難場所として開放し、多くの方が休んでいました。翌日以降も、電車が一定区間運行しなかったり、計画停電で電気が使えない状態があったりと、普段当たり前に使っていたインフラのありがたみが身に沁みました。▲現地視察高野区長自ら現地入りし、何▲地図で帰り道を確認する人々。し

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