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問EMFAX保問い合わせ先 申込み先 ホームページ Eメール ファクス  フリーダイヤル 保育あり ※費用の記載がない事業は無料です問申HPEMFAX保3巣鴨地蔵通りは、江戸時代には五街道のひとつ中山道であり、江戸の出入口にあたる巣鴨眞性寺の境内には江戸六地蔵の一つが配置され、往来する人馬の安全を見守ってきました。また巣鴨は染井(駒込)と並ぶ園芸の里として、江戸時代後期の菊見ブームの先駆けとなり、多くの見物客でにぎわいました。とげぬき地蔵(高岩寺)は、もともと上野駅のそばにありましたが、この地域の発展に伴い、1891(明治24)年に巣鴨の地へ移転しました。1985(昭和60)年頃からは“おばあちゃんの原宿”として、全国的な人気を集めています。この地域は、江戸近郊農村として、大根やナスなどの野菜の特産地でした。関東大震災以降、宅地化が進み、1930~40年代には、谷端川近くのさくらが丘パルテノンをはじめ、多くのアトリエ付貸家群が建てられ、若い芸術家たちが居住して創作活動に打ち込みました。また、かつてこの地域の西側には、千川上水が流れ、長崎地域に広がる農地の灌漑用水としても使われていました。千川上水の堤には桜が植えられ、桜の名所として近隣からの花見客でにぎわいました。1960年代になると、都市化の進行に伴い千川上水は暗渠となりましたが、今なお千川通りとしてその名をとどめています。桜開花の標準木となっているソメイヨシノ(区の木)は、駒込駅西側一帯のかつて染井と呼ばれた地域に集住していた植木屋が全国に向けて売り出したものとされています。目白という地名は、1885(明治18)年に開業した目白駅にちなんでつけられ、1932(昭和7)年10月1日の区制施行時に初めて登場しました。千登世橋は、目白通りと明治通りが立体交差する地点に架かり、橋名は当時の地名(高田町大字高田千登世)に由来します。1933(昭和8)年に竣工した東京で最初の立体交差橋として、東京都の著名橋に指定されています。▲1950(昭和25)年頃…長崎5丁目付近の千川上水と桜並木(桐本国次氏提供)(画像2-P)年不詳…「千川の桜」(春日部たすく作 水彩)▲1951(昭和26)年…巣鴨地蔵通りのにぎわい(株式会社豊島新聞社提供)▲1933(昭和8)年…明治通りから見た千登世橋▲現在にもにぎわいがつながる(木﨑禎一氏提供)▲「千川の桜」春日部たすく制作年不詳 水彩、紙▲現在の長崎5丁目付近▲今も多くの車が行き交う▲「薫風」山高 登 1990 (平成2)年 木版、紙昭和の暮らしを和室で再現するとともに、当時の家電製品や生活資料を写真・映像も加えて展示紹介します。めんこ、コマ回し、おはじき、けん玉などの遊びも体験できます。「昭和の暮らしと遊び~昔の遊びを体験してみよう~」郷土資料館区制90周年記念企画展 5月5日㈷~8月28日㈰ ※月曜日休館(仮称)昭和歴史文化記念館(南長崎3-4-10)※新型コロナウイルスの感染状況等により内容を変更する場合があります。昭和20年代に建設された戦後マーケット「味楽百貨店」を活用して、昭和の雰囲気が感じられる文化施設を11月にオープンします。区制施行90周年を記念して、特別企画展を開催します。詳細は広報としまや区ホームページなどで紹介します。■問文化デザイン課施設整備グループ ☎3981-1476予告み らく ひゃっか てん▲江戸名勝図会「染井」二代歌川広重画1864(元治元)年▲JR駒込駅北口そばにあるソメイヨシノ発祥の地の記念碑(染井吉野桜記念公園内)歩道部分にはかつて千川上水の清流がありましたかんがいあん きょしゅんこう

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