20220815_gougai
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★★★★★★作文コンテス作文コンテス1,468作品小学生の部小学生の部私の住んでいるマンションに目の不自由なおじさんが住んでいる。家へ帰る道やエントランスのオートロックを解除する時に少し困っている様子をよく見かける。エレベーターは使わずいつも階段で上り下りする。いつも何かできることはないかと考えるけれどなかなかうまく声をかけることができないでいる。先日、電車に乗って、たまたま座っていた。目的地に着いて立ち上がった時、前にいた女の人が妊婦さんであることに気付いた。女の人は不満そうに、すれ違いざま一言二言文句を言っていた。もっと早く声をかけてくれたら席をゆずることができたのにと少し腹が立ったし、後悔もした。地方新聞の記事をインターネットで読んでいると、迷子の小学生や帰り道のわからなくなったお年寄りを助けた人達の記事をよく目にするけれど、記事に対してのコメントは「むやみに声をかけると不審者に間違われそうで自分にはできそうにない」というコメントばかりだった。人と助け合ったり、ゆずり合ったりすることは意外とむずかしいことなのかもしれないと思った。そんな話を家族にしたら、以前住んでいた長野では毎日みんな当たり前に助け合っているのだと言われた。雪道のわだちで車が立ち往生してしまったら、近所の家のインターホンをならし、道具をかりるらしい。母は道を通りがかったとき道をたずねるお年寄りを目的地までよく乗せてあげていたそうだ。父が単身赴任でいなかった時、わたしが救急車で運ばれるときもどこからともなく救急車の音を聞きつけて近所の人達が手伝いにきてくれたそうだ。助け合うことが当たり前にしみついているのだと思った。困っている人に当たり前に手を差しのべられて、困っている人は遠慮なく声をかけることができることがもっともっと普通になればいいと思った。それからはマンションに住むおじさんとも少し話をするようになったし、駅の乗り換えで困った時に周りの人や駅員さんに声をかけやすくなった。いつも少し緊張感のある東京がやさしい街に思えるようにもなっ助け合う社会への道優秀賞目白小学校 5年生   神農 由奈さんかんのう   ゆ なた。マタニティーマークや助けが必要な人のためのマークがあることは知っていたけれど、最近はよく目にとまるようになった。困っていたら声をかけて欲しい人のためのマークもあるのだと知った。人が助け合えるための工夫がいろいろとあるのだ。もっとたくさんの人に知ってもらいたいと思った。学校では知らない人とは話さない、目を合わせてはいけないと指導されているし、人と人との結びつきが細くなっているようにも感じる。身を守る上では大切なことなのかもしれない。それでも私は人の優しさを信じられる人間でありたいと思う。東京オリンピックやパラリンピックのボランティアの人達、大会に参加した人達の笑顔が今も目に焼き付いている。助け合いはする側もされる側も笑顔にする。私はこれからも助け合いの心を大切にしていきたい。そして、助け合いの輪を広げていきたい。私達が大人になったときには、行き交う人達は笑顔であいさつを交わして、誰でも安心して生活できる街になっていたらいいなと思う。近年、中・高生の自殺に関するニュースが増えてきていると感じる。自殺というのは、かけがえのない命、生きる権利を自ら放棄してしまうことだ。私は、自殺という選択をせざるを得ないまで追いつめられている人がいるという現状を必ず変えていく必要があると思う。中・高生の自殺の原因の多くは、「いじめ」ではないだろうか。いじめは子供の中で最も重い犯罪だ。では、この犯罪をなくすためには何が大切なのだろうか。私は「他者を思いやる心」が大切だと考える。そう考えるのには、私自身、友達の「他者を思いやる心」に救われた経験があるからだ。5年の冬だった。学校は毎日非常に楽しく、充実しているものだった。それをこわしたのが、「うわさ」だった。私とある子についてあることないことが一気に広がった。うわさをうのみにした人たちがからかってきたり、さらに大きく話をふくらませて人に伝えたり、中には私を悪く言う人もいた。「いじめ」ではない。友達が自分のところから離れたわけでもない。でも、うわさが広まっていることを知ったとき、とても孤独な気持ちになった。このとき、「うわさ」のこわさを初めて知り、うわさを早く消さないと、とあせりもがいている自分がいた。そんなとき、ある友達からのメッセージで私はしずんでいた心が軽くなった。「紗良、大丈夫?紗良は何も悪くないからうわさなんて気にしないでね。」メッセージにはそう書いてあった。短い文章だ。でも私は、このメッセージに心が救われた。「紗良は何も悪くない」という言葉は、「堂々としてていいんだ。」と思わせてくれた。そして、友達が寄り添ってくれたことが心の支えになり、一人じゃないと思うことができた。それからうわさを気にせず堂々としていたので、周りから何か言われることもなくなり、うわさは自然に消えた。私はこの経験で気づいたことがある。それは、自分が孤独なとき、つらいときに寄りそってくれる人が一人でもいるだけで、心はとても軽くなるということだ。いじめは、絶対にやってはいけない犯罪だ。でも、実際いじめをゼロにするのはむずかしいかもしれない。大切なのは、いじめが起きてしまったときの周りの対応だと思う。いじめら「思いやり」が作る明るい社会常任委員長賞池袋第三小学校 6年生   鈴木 紗良さんすず き    さ られている人は孤独で、とてもきずついている。そんなときにだれか一人でもそっと寄りそってあげることができたなら、その人は何倍も心が救われるはずだ。なぜなら人にはだれでも、心に温かみがあるからだ。その温かみを、心に傷を負い心が凍えている人に分けてあげる。これが思いやりだ。こうして社会のすべての人を温かくできれば社会は明るくなるのではないだろうか。今、ロシアとウクライナの戦争がニュースで多く取り上げられている。おびえているウクライナの人々を見ると、世界はもっと何かできないのだろうかと感じてしまうが、実際支援物資や難民の受け入れ、寄付など各国の様々な思いやりの行動が、ウクライナの人々を救っているということを知り、うれしくなった。でもまだ、心が凍えている人がいるのは事実で、これからはもっと一人一人でできることを様々な立場で考え、行動につなげていく必要があると思う。そうして戦争が早く終わり、ウクライナの人々に笑顔が戻ってくる日を、私は待っている。私自身はこの社会に生きる一人として、常に思いやりのある行動をし、自分の持つ温かさを人に分けてあげれる人になりたい。またこの社会が、思いやりであふれる温かい社会になることを願う。私は5才の頃から囲碁をやっています。囲碁では、試合を始める前に、「お願いします」と姿勢を正してあいさつをします。また、終わった後は、どんな時でも必ず「ありがとうございました」と心を込めてあいさつをします。負けて悔しい時は、なんで負けたのだろう、どこがいけなかったのだろうと落ち込んで、あいさつをする気持ちにはなれません。ですが、1時間以上にわたって試合をし、全力を出し合った相手に対し、「ありがとう」と感謝を伝えることは、囲碁という競技のマナーです。囲碁は、最後に自分の陣地が多い方が勝ちになる競技です。試合中は、相手を倒すという思いを強く持ち、戦っています。最後に、「ありがとう」とあいさつをすることで、「お互いまたがんばろうね」と気持ちを切りかえることができます。あいさつをすることで、相手が「敵」から「共に切磋琢磨できる仲間」になります。小さい頃から囲碁をやっていた私は、このような経験を通じて、あいさつは「仲間」を増やす最高の言葉だと思っています。だから私は、囲碁以外の場所でも、積極的にあいさつをするように心がけています。例えば、バスから降りる時、後方のドアではなく、前方のドアから降りるようにしています。なぜなら、運転手さんに、安全に運転してくれた感謝の気持ちを伝えるためです。「ありがとうございました」と元気な声であいさつをして、バスを降ります。他にも、通学路の公園で工事をしているおじさんに、「おはようございます」と明るい声であいさつをします。最初は、少し暗い雰囲気で、なかなかあいさつを返してくれませんでしたが、ある日からあいさつを返してくれるようになりました。おじさんが私を「仲間」と思ってくれたと思うとうれしくなり、毎日あいさつを続けるようになりました。「あいさつを通じた明るい社会づくり」優秀賞豊成小学校 6年生   髙橋 暁奈さんたかはし   あき なあいさつを通じて、たくさんの人と「仲間」になることができます。囲碁の試合中は敵だった人や、暗い雰囲気だった工事のおじさんも、あいさつをすることで、「仲間」になれました。多くの人が、多くの場所であいさつをすることで、「仲間」がどんどん増えていきます。人と人が、「仲間」としてつながることで、犯罪や非行のない、明るい地域にすることができると思います。私は、今後もあいさつを続け、色々なところで「仲間」を増やし、明るい社会をつくることに貢献していきたいと思います。令和4(2022)年8月15日

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