20110810_gougai
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特集号ま3課 ☎3981-2187高松小学校 5年生中島 英長崎小学校 6年生関 綸太郎「力強い命」識と優しくて強い心をせき りん た ろうなかじま はな千川中学校 3年石田 小百合駒込中学校 2年生佐藤 希海明日へと繋ぐ命ささ とう のぞ みいし だ さ ゆ り懸命するこ大切なんだ字や工作をた“おじいちった。11月としか聞いては晴天の霹ても、今まで受けとめては人は生まれ感した。に足のむくした。祖父分がつらいさん、周りの儀のお別れと過ごしてきちに自分のに気付いた。私はそのこちを日々持つ”を忘れずに本大震災が生の実家も被災され、家が流されたと聞き、とても人事だとは思えなかった。たくさんの尊い命が失われ、今だに行方不明の方々も大勢いる。本当に肉親を一瞬のうちになくす悲しみは、言葉では言い表わせない程だと思う。ニュースでは、その悲しみや苦しみにたえてひなん所で生活する人々の姿が毎日ニュースで流れる。日本全国、いや世界中からボランティアとして被災地へ向かい津波で流されたり、泥にまみれてしまった家の片付け、整理などを手伝う人々も大勢いると聞いた。私はまだ中学生で現地へ行き実際の手伝いはできないと思うが、何かで役に立てることを自分のできることをしたいと思う。募金、風評に惑わされず野菜を買うこともその1つなのかもしれない。東北の人はがまん強く、奥ゆかしく、自分が被災していても「どうぞお先に!」と相手を敬い、けんそんしてゆずりあう光景が見られる。私も、いや私達も見習っていかなければならない。そして少しでもはやく復興して、幸せな日々を送れるようになってほしいと思う。 私たちは“命”というものを軽く見ていたのかもしれない。こうやって殺人や自殺のニュースを見てみても何とも思わなかったのは、私が“命”というものを軽くみていたからではないだろうか。今回、私は「祖父の死」そして「東日本大震災」この2つを経験し、生まれ変わったように命について深く考えるようになった。私は、これからもこの経験を生かし、人々に対して出来ることを日々考え、過ごしていきたい。同じ“命”を大切にする人間なのだから。 2011年3月11日、午後2時46分、日本でかつてない大地震が起きた。私はこの時学校にいた。またどうせ、小さな地震だろうと思っていた。しかし時間がたつにつれ、その心はすぐにきれいさっぱりなくなるのであった。前の席の子は、「どうしよう、怖いよ。」と机の下で体を小さく丸め、今にも泣き出しそうな様子だった。その様子から私は、ただ事でなく前から言われていた日本にいつきてもおかしくないという、大震災が起こってしまったのではないのかと思った。それを考えたらしだいに恐怖で頭がいっぱいになり、自然とまぶたに涙が溜まっていくのが分かった。しかしながら、こんなに目の前は暗やみだけれど、一筋の光が見えたきがする。それは先生方の落ち着いた判断であった。生徒が動揺を隠しきれない様子でも、冷静に今何をやるべきかを考え私たちを校庭に避難させてくださった。先生方だって人間なのだから、当然大きな地震が起きたら絶対に私たちと同じで、恐怖心が芽生えると思う。しかしこのような感情を決して生徒の前では見せず、今行くべき所へ導いてくださった。先生方の姿勢を見て、頼もしいな、やはり先生はとても素晴らしい人だなと改めて感じた。 校庭に避難してからのことだ。余震は何度も続き、その度に電信柱は大きく揺れ今にも倒れそうになり、電線も海の荒波のように揺れていた。私はこの光景を見て、日本はどうなってしまうのだろう。という不安にかられた。その上、とんでもないことを耳にしてしまった。それは震源地は宮城県、震度は7ということだ。私の祖父は宮城県の隣の山形県に住んでいる。隣であったら山形県もとてつもない被害を受けているのではないのか。私は今まで以上の大きな不安を覚えた。祖父はどうなってしまっているのだろう。もう助かっていなければどうしようと、マイナスなことばかり浮かんできてしまった。しかしこの時、希望をくれた人物がいた。それは友達だ。「絶対におじいちゃんは生きてる。大丈夫だよ。」と、必死な思いで私を励ましてくれた。私はこの言葉にどれだけ救われたことか。『友は一生の宝』というが、本当にそうだなと心の底から思う。 余震はまだ続いているが、やっとの思いで家に着くことができた。そして驚くべき様子を目にした。本が散乱しているのだ。ある程度は予想していたが、まさか足の踏み場がないまでとは全く思いもしなかった。「これでも結構片づけたんだよ。」と母が言い、その言葉で益々私は驚くのであった。 祖父の心配もあり、私は真っ先に祖父の所へ電話した。しかし、「現在大変込み合っていますので、また後でかけ直してください。」という状況であった。だったらせめて、今の日本はどうなっているのかを知ろうと思い、テレビをつけた。そこには津波によって流される家が映しだされていた。私は一瞬目を疑い、思わずリモコンの電源を切った。試しにもう1度電源を入れるのを試みたが、先程と同じ状況が画面に映し出されているのであった。その映像を見て私は、ショックのあまり言葉を失った。 地震で家族を失ってしまう人もいた。1人の子供が必死に、「この人、ご存じではありませんか。」と尋ねているのを新聞の記事で読んだ。私は見つかってと強く強く願った。しかし見つかることはなかったという。この子供はこの先ずっと親がいないのかと思うと、涙があふれだしてくるのが分かった。私が困ったり悩んだりすることは、このことに比べればなんてちっぽけなものだろうとも思った。 地震によって、たくさんの命が亡くなってしまった。ストレスで、具合を悪くしてしまう人もいた。どれもこれも、暗い気持ちになることばかりだ。しかし、心が救われることもあった。それは、そのような人たちを励まそうとする日本人の姿である。ボランティアとして歌を歌って励まそうとする人や、笑いをもたらして元気にする人、おじいちゃん、おばあちゃんの肩を揉む子供もいた。この場面を見たら、みんなめげずに、地震になんか負けないという前向きな気持ちになると思う。そして私は、地震によって命の大切さをより実感することができた。なぜなら地震によって亡くなってしまった方々が、今を精いっぱい生きてと訴えかけている気がするからだ。 私はこの先、困難に出会うこともあると思う。しかしその時はこの震災のことを思い出し、『負けてたまるものか。』という思いで立ち向かって生きていこうと思っている。それが、亡くなってしまった人たちに見せることのできる自分だと思うからだ。私は絶対に負けない。県から避難つる」と言わ記事を読みまても腹立たし発電所から道水の放射。避難してきいてとても怖難生活では、をしていると言葉をいった。るものとはまは、人に影いように予防能はうつる」、こんなことないことにあいために、放人も危険だとしまうのだとが危険だとニュースで、必要だとか、拒否されるケんとなく避けた方がいいような気持ちになってしまうように思います。それでも、あいまいな情報で人を傷つけるようなことを絶対にしてはいけないと思います。 原因の2つ目は、相手の気持ちを考える心が足りないことにあると思います。なんとなくからかったり、友達のまねをして一緒にやったりしている人もいるかもしれません。でも、言う方は軽い気持ちでも、言われる方はとてもとても悲しい気持ちになるということを考えて、絶対にやめるべきだと思います。また、自分は仲良くしたいと思っていても、自分まで他の友達から仲間はずれにされてしまうのではないかと思い、一緒にからかってしまう人もいるかもしれません。自分の考えで行動するのはとても勇気が必要ですが、それができることは大切なことだと思います。 この記事について考えているうちに、身近なところでも、わざとではないけれど結果として相手を傷つけてしまっているようなことがあるのかもしれないと気がつきました。 人は、誰もが大切な「一人」だと思います。そんな、「一人」「一人」がお互いを認め、大切にできる社会にするためには、みんなが、たくさんの正しい知識を身につけ、相手の気持ちを思いやることができる優しい心と、自分の考えで行動できる強い心を持つことがとても大切だと思います。 わたしのお母さんは、助産しです。「産むのを助ける」で助産しです。命を産むお手伝いをするという責任のある仕事で、いつもいそがしくしています。でもわたしは、お母さんのしている仕事が人のためになっていると思うと、とてもうれしくなります。 わたしは、「命」という言葉を聞くと生まれたての赤ちゃんが、頭にうかびます。命はみんなお母さんから生まれてきます。日本で1年間に生まれてくる命は約100万人だそうです。1日あたりにすると約2,700人の命が生まれてきます。わたしはこの数はとても少ないけれど、一つ一つがかけがえのない命だと思います。なぜなら、一つ一つの命がそれぞれちがう命だからです。生まれたての赤ちゃんはだれにも教わらなくても、上手におっぱいをのみます。だっこしてもらうために泣きます。赤ちゃんは、自分で回りながら出てきます。わたしは生まれたての命はとても強いと思います。 お母さんはわたしがおなかにいる時に、流産しそうになったそうです。病院の先生から、おなかの中の子は育たないかもしれないと言われてとてもかなしかったそうです。でもあきらめないで、「がんばって」とおなかの中のわたしにはなしかけたそうです。今、わたしは元気に生まれて大きくなりました。命はやっぱり力強いのかなあと思います。 でも、今回の大しんさいで2万人近くの人が1度になくなりました。わたしはとてもおどろきました。なぜかというと、力強いはずの命がこんなにたくさんいっしゅんになくなったからです。この2万人の人たちにはそれぞれお父さんやお母さん、子どもがいて家族がいたはずです。わたしと同じ5年生もきっといたはずです。力強く生まれて元気に生きていたのに、急になくなってしまいました。どんなに冷たくて、くやしくて、苦しかったのかと思うと、なみだが出そうです。わたしのお母さんはいつも、「命にはみんな終りがあるんだよ。」と言っています。でもこんな終わりかたは、いやです。あんまりです。わたしのお母さんはよく、じゅんばんに死ななきゃいけないんだよ。」といっています。わたしはそれを聞いて、命はつながっているのではないかな、と思います。わたしのお母さんお父さんがいてその上におじいちゃんおばあちゃんまたその上にひいおじいちゃんひいおばあちゃんがいてまた上にごせんぞさまがいます。そしてわたしの命はわたしの子どもにつながっていきます。その命のつながりをわたしは大切にしていきたいと思います。優秀賞常任委員長賞作文コンテスト 小学生の部 受賞者

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