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作文コンテスト受賞作品作文コンテスト受賞作品平成24(2012)年8月15日広 報特集号2子ども家庭部 子ども課 ☎3981-2187 「おはようございます」と私が言うと 「いってらっしゃい。気をつけてね」という言葉がかえってきます。 朝、私はいつも近所の人にあいさつをします。小さいころからずっと家族に 「道で会った人にも、あいさつをしなさい」と言われてきました。しかし最初は勇気が出せずにはずかしがっていました。すると、近所の人達に 「ゆかりちゃん、おはよう。ラジオ体操毎日行ってえらいね。これからもがんばってね」と、いわれました。私は、これからもがんばろうと思って「はい」と返事をしました。次の日からは自分からあいさつができるようになって(あいさつは楽しいな)と思いました。 小学生になってから、通学路にある床屋さんに毎日、あいさつをしました。すると床屋さんも帰り道に「お帰り」と返事をしてくれました。私は、とてもうれしい気持ちになっていつもあいさつをしていました。すると、お父さんが床屋さんに行った時、 「ゆかりちゃんは、いつもあいさつをしてえらいですね」と言われて、とてもうれしかったそうです。あいさつの力はすごいなと思いました。 小学校で、友達とけんかした時、私は(もうぜったいにこの子と遊ばない)と思ってしまいました。次の日、友達が「ごめんね」と言ってきたので、昨日の気持ちが消えて、「いいよ」といいました。友達があやまってくれたのですが、次からは先に自分があやまろうと思いました。 私の通っている高松小学校では「あいさつ標語」というのを全校生徒が作ります。私は毎年あいさつの大切さがこの活動でわかります。 また、三年生の時、正門の所で登校してくるみんなにあいさつをしたことがあります。例えば、 「おはよう。そういえば今週当番だったね」やあいさつを返してくれるととてもうれしいのですが、無視して行かれてしまうと、とても悲しい気持ちになります。だから私は、あいさつを必ずしようと思います。私は、あいさつのおかげでたくさん友達ができました。 あいさつは、「人とのつながりを深くする言葉」だと思います。私は、習い事で同じクラスの子に、 「こんにちは、また同じクラスだね」とか、 「おはよう。今日はテストだね」など話しかけます。すると相手も笑顔で返してくれます。 私の名前にある「ゆかり」という言葉は「人とのつながりを大切にしてほしい」という願いから、つけられたそうです。私は、それを聞いて、まるであいさつみたいだなと思いました。だから、私は、だれよりもあいさつを大切にしようと思いました。 また、私は「近所どうしであいさつをしている町は犯罪が少ない」ということをテレビで知りました。近所の人とあいさつをしていると、地域のつながりをふかめることができて、どろぼうがしん入をあきらめることができるからだそうです。 そしてあいさつのおかげで近所の人達も「知らない人」から「知り合い」に変わっていきました。これが全国にそして世界に広がっていけば、みんなが笑顔で仲良くなれると思います。そして地球があいさつでつつまれると思います。そうすれば戦争などがなくなり、平和になると思います。私は、まるで「あいさつはまほうみたい」と思います。なぜなら、小さなひと言で世界が平和になるからです。私は、みんなが自分からあいさつできる社会になればいいなと思います。 人との関わりをチェーンに例えると、昔はしっかりくっついていて輪の形でした。しかし今はすっかり錆びついてばらばらになり、一つ一つが離れている状態でしょう。今の私達は他人と関わり合い、助け合うという心を忘れて、いつの間にか孤独な生き方をするようになってしまったのではないでしょうか。現在に至るまで私達は何故こんなにも変わってしまったのでしょうか。人と関わりあい、繋がることによって得ることができる温かい心の存在はどこかに忘れ去られてしまったようです。 私達が江戸時代に長屋暮らしをしていたころは、なんでも共同で使ったり、大変なことが起こったら、一致団結して解決したりと、みんなが協力していたと思います。しかし今はどうでしょうか。多くの人がマンションや一戸建てに住んでおり、隣の住人や地域の人とコミュニケーションを取らない人もいます。若者の中には、家族とさえろくに会話せず、もちろん住民とすれちがっても何も言わず、黙って通り過ぎ去っていく人がいます。随分と閉鎖的な世の中になってしまいました。孤独で閉鎖的な社会にはたくさんの問題があります。その一つが、最近ニュースや新聞で見聞きするようになった「孤独死」です。亡くなった人は殆ど高齢者です。もし、家族や親戚、地域の人々と親しいつながりを築けていれば、亡くなることはなかったかも知れません。「孤独死」を防ぎ、無くしていくには、一人一人が意識をしてたくさんの人とコミュニケーションをとらなければならないと思います。 そして、一番大きな問題は、犯罪や非行が多発することです。近頃、殺人事件や非行少年達による事故など思わず目をふさぎたくなるようなことがたくさん起きています。たくさんの「いのち」を奪う人間がいることに驚きと不安、誰も信じることが出来ないという恐怖が襲ってきました。少し前までは、私には関係ない、巻き込まれないという他人事に思う気持ちがありました。ですが、他人とのつながりを持たない人が犯罪に手を染めてしまうことが多いと気付いたとき、これは他人小学生の部中学生の部 「いのちとは、心臓や脳なんかじゃなくてその人が生きた時間なんだ。」 小さいときに日野原重明さんの本を読んだ。そして、この言葉にいろいろな疑問を抱いた。普通いのちと聞くと心臓を思い浮かべる。生きていく上で、心臓は一番欠くことのできないものだから、と私は思っていた。でも、「いのちは生きた時間」とは、どういう事だろう。また、事故や病気などで早くに亡くなってしまった人の「いのち」はどうなるんだろう。色々考えたけどまだ私にはよく分からなかった。 その時から何年か経った五年生の冬、小さい時によく遊んでいた幼なじみが事故で亡くなった。私が初めて身近に体験した、「人の死」だった。その時はあまりに突然で、「悲しい」という気持ちももちろんあったけど、それより「衝撃」や、突然訪れた死に対しての「恐怖」といったような感情のほうが大きかった。久しぶりの再会が突然、しかもこんな形で実現するなんて全く考えたこともなかった。 十四年。それが、幼なじみのいのちだった。何でこんなに早く死んでしまったんだろう。何で死ぬのがあの子だったんだろう。あの子のいのちはどんな「いのち」だったんだろう。私がその時分かったのは、「人はいつ死ぬか分からない。」ということだけだった。 それから一年後、「東日本大震災」が突然起こった。連日テレビでも新聞でも地震と津波についての情報が流された。 私はその時、「阪神淡路大震災」の震源地からかなり近い兵庫県に住んでいたため、大地震については何度も何度も聞かされていた。でも、聞くのと実際に映像を見るのでは全然違った。津波によって家や車、そして人が流されていく様子は、本当に現実だとは思えなかった。すごく怖かった。 東日本大震災で、約二万人の大切ないのちが奪われた。その事実が本当に信じられなくて、怖くて、私は震災の特集番組や記事を自然と避けるようになっていた。 でもそれは、ただ逃げているだけだと気づいた。それは、被災された方にも、お亡くなりになられた方にも、すごく失礼な事だと気付いた。今の私にできることは、祈ることと募金、そして事実をしっかり見つめ、考え、それを心に刻んで絶対忘れないことなんだと思った。今、私がこうやって生きている事がどれだけ幸せなのか知った。 そして、改めて「いのち」について考えることにした。 自分のいのちがいつ終わるか、それは分からない。明日かもしれないし、一年後かもしれない。何十年も先のことかもしれない。また、病気で死ぬか、事故か、あるいは「首都直下型地震」で死ぬか。本当に、何も分からない。だからこそ、「今」生きている奇跡と幸せに感謝して、常に精一杯自分のたった一つの「いのち」を生き続けなければいけないのだと、私は思う。「いのち」とは、どれだけ長いか、ではなくどれだけ中身の濃いものか、が大切だと思う。自分が後悔しないためにも一生懸命、「いのち」を無駄にせず生きたい。そして、「いのち」の重さや大切さを恐れず、受け入れられるような人になりたい。推進委員長賞推進委員長賞常任委員長賞高松小学校 5年生恩田 ゆかりさんあいさつはまほうあいさつはまほうおんだ「チェーン 「チェーン 西池袋中学校 2年生三浦 ゆづりさん「いのち」は時間「いのち」は時間みうら
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