20121001_gougai
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伝統を伝承するには大家族が織り成す文化が大切です●野村 萬1930年生まれ。日本を代表する狂言の第一人者として、1997年人間国宝の名誉を受ける。世阿弥の唱えた「舞歌」と「物真似」を両立させ、正統派の狂言を確立。現在も多くの舞台で活躍する傍ら、後進の育成にも力を注ぐ。豊島区名誉区民。の むら まん●野村 万蔵1965年生まれ。野村萬の次男。2005年1月に本家の名跡九世野村万蔵を襲名。萬狂言を率い、国内外で公演を行なう。古典以外にも復曲新作の能や狂言さらには現代劇にも出演し、狂言以外の俳優としても高い評価を得ている。重要無形文化財総合指定。の むら まんぞう●野村虎之介さん●野村拳之介さん●野村眞之介さん1996年生まれ1999年生まれ2003年生まれ▲左から、拳之介さん、萬さん、眞之介さん、万蔵さん、虎之介さん。▲萬さんと眞之介さんが演じた狂言「重喜」。後見(左奥)に控えるのは万蔵さん (今年7月萬狂言夏公演より)。 野村家には自宅の並びに50年ほど前に建てられた「よろづ舞台」と呼ばれる稽古場があります。舞台と暮らしとが隣り合うこの場所で、万蔵さんも孫たちも成長してきました。萬さんは稽古場ができた当時を振り返ります。「私の父は舞台をしっかり掃除しろ、そうすれば芸は上達するぞと言ったものです。毎日毎日磨き上げていますと、不思議なもので舞台に立ったときに、足の裏の皮膚感覚が働くようになるんです。お客様からは見えない所にも神経の行き届いた、責任の持てる身体を作っていかないと。そのためには日常生活で立ったり座ったりする動作にも心がなくてはいけませんね。孫たちはごはんを食べているとき母親に〝背中が丸い!〞とよく叱られています。舞台に立つのは男ですが、感性を磨くには、母親が心を配る、そうした日常の機微が大切だと思います」 明治生まれであった萬さんの父親(六世万蔵)による稽古は、とても厳しかったと言います。「よく怒られましたが、そういう時に助けてくれたのはいつも祖母でした。母親が助けてしまうのでは意味がありません。上の世代がいてくれたことが生活の上で、子ども心にもとてもありがたかったのを覚えています」 そんな萬さんも祖父となり、今度は孫たちに稽古をつける立場になりました。そこには父親である万蔵さんとは異なる役割があると、萬さんは語ります。「老・壮・青のうち、壮は最も外に向かわなければいけない時期。ですから、子どもの稽古にすべてを賭けるわけにはいきません。一方、爺はひまになってきますから。今までは、厳しいとか難しいばかりを言ってきましたが、80歳を過ぎてからは、狂言は〝面白いよ 楽しいよ〞と説いていきたいと思うようになりました。末の孫、眞之介と舞台に立つ時は、彼の童心に立ち入り、共鳴しなければ、芸に遊ぶという境地を発見することができません。その時は、私ではなく、孫が師となります」 古典のみならず現代狂言や他の芸能とのコラボレーションを通じ、狂言の普及に務める万蔵さんは、まさに萬さんの言う壮年そのもの。「家族の絆は何かと言えば、私の場合は狂言の道以外にはあり得ません」と語り、狂言の伝統を受け継ぐためにも、一緒に苦悩し、葛藤し、喜んだりする時間を大事にしています。「親に対し尊敬やあこがれの気持ちがなければ、子どもたちはついてきません。私自身も父を尊敬していたからこそ、この道を選びました。子どもは一人前になるにつれ、親を否定したり、親のコピーにはなりたくないと思うものです。だからこそ親より優れた何かを探す努力が不可欠になっていくでしょう。私自身、親からたくさんのことを学びましたが、未来に向かっていくためには、頑なに信じて後を追うだけでなく、越えなければなりません。そのために新しい要素や異なるジャンルの血を入れていくことは、本来の古典にも良い影響を与えると思いますし、古典の普及にもつながると考えています」 狂言に対する万蔵さんの情熱は、我が子だけでなく、未来を創造する多くの子どもたちにも父・母・祖父母それぞれの役割親を尊敬し、親を乗り越えるき びけいこばじゅうき

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