20121001_gougai
3/4

ふ びん▲仲のよい兄弟は、学業や部活動と両立させながら、 祖父と父の背中を見て修業中。▲みんなが揃う時を見つけて、家族旅行へ(虎之介さん撮影)。▲子方が重要な役どころをつとめる、狂言「牛盗人」。拳之介さん10歳の時(平成20年)。▲現万蔵さんが3歳の頃。祖父の六世万蔵さんとの 「靭猿」の稽古(昭和43年頃)。▲虎之介さん3歳の時。初舞台「靱猿」に向けて 萬さんと稽古 (平成11年頃)。▲よろづ舞台で行なわれる、こども狂言教室(主催/(公財)としま未来文化 財団)。区内在住・在学の小中学生を対象に今年で2回目。大家族が養う豊かな感性大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大家家家家家家ががががががががががががががががががががががががががががががががががが養養養養養養養養養養養養養養養養養養養うううううううう豊豊豊豊豊豊豊豊豊豊豊豊豊豊豊かか豊かかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかかなななななななななななななななななななななななななななななな感感感感感感性性感性性性性性性性性性性性大家族が養う豊かな感性▲虎之介さん3歳の時。初舞台「靱猿」に向けて▲現万蔵さんが3歳の頃。祖父の六世万蔵さんとの▲▲みんなが揃う時を見つけて、家族旅行へ(虎之介さん撮影)。注がれています。その一つが、としま未来文化財団主催による狂言ワークショップです。「純粋な子どもの時期に、日本に受け継がれる伝統を知るのは大事なこと。それも地元で体験することによって、友達や、両親に魅力を伝え、日本の伝統がより身近になってほしいと思います。何年先になるかわかりませんが、この教室から狂言師が誕生したらうれしいですね」 野村家では狂言の稽古は3・4歳くらいから始まります。台本は見ず、師匠のセリフを真似することが基本だそうです。「耳からいろいろなものをつかむ時間がとても大切なんです。だんだんと学校も忙しくなってきますが、芸の修業も義務教育の時期が大切なんです」と萬さん。 初舞台では衣装をつけながら寝てしまったり、お手洗いに行くことを我慢できなくなってしまったあどけない孫たちも成長し、今年6月の萬狂言特別公演には三代が顔を揃えました。末っ子である眞之介くんは「緊張はしないけど、稽古は楽しみじゃない」とおどけてみせますが、祖父と父親の背中を見て、いつかまた新たな試みを見せてくれる日がくるのでしょう。 三百年にわたる野村万蔵家の狂言の歴史もまた、いつも大家族の日常と共にありました。「芸能の伝承には核家族ではなく大家族でありたいなぁと常に思っています。大家族でいることにより、たとえば日本語への感性も自然に養われていくのではないかと思いますね。悲しい時に、若い人は〝悲しい〞としか言わないかもしれませんが、もう少し上の世代であれば〝あわれ〞とか〝不憫〞といった言葉で表現するでしょう。それは私たちの舞台で使われる古語につながっているわけです。そういう意味でも、何かを長く受け継いでいくためには、大家族が織り成していくことが必要だと思いますね。これは組織でも豊島区でもまた日本という国でも同じでしょう。お陰様で私は家族に囲まれ、三つの世代を位置づけながら日常生活を過ごすことができるという意味でも、芸の上では恵まれた状況にあると感謝しております」 家族の日常を大事にし、簡素であることに日本文化の原点を見る萬さんは、さらに続けます。「父親には〝舞台に出るには人柄がとても大切だ。礼儀作法がきちんとできない者は舞台に出る資格がない〞と年中言われました。人間性と技術が相まったものを〝芸〞と呼びますが、絵で言えば余白のような部分を、人間性つまりは芸で埋めていくのが古典の大切なところだと思いますね。そういう感性を孫たちには磨いていってほしいし、それを育む環境が家庭の中には大切です。舞台は一見日常とかけ離れたように見えますが、 むしろ日常に根差したものですし、私たちも区民の皆さんと離れて雲の上の人のような生活をしているわけではないんですね。日常と舞台とが響き合っていないといけません。 今、生活から和の空間が失われていますね。たとえば座禅はどこでも組めますが、寺の空間でこそ厳しさが与えられます。同じように、こうした舞台のある空間で息することによって、内と外から伝統の心が育まれていくのだと思います。ですから、この〈よろづ舞台〉もゆくゆくは区民の皆さんに活用していただけるようになればと考えています」うつぼざるうつぼざる

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る