20140815_gougai
3/4
子ども家庭部 子ども課(2平成26年(2014)年8月15日推進委員長賞小学生の部中学生の部常任委員長賞推進委員長賞長崎小学校 5年生福本 梨加ふわふわ言葉とちくちく言葉とは笑顔はふくもと り か西池袋中学校 2年生伊藤 萌笑命への意識命の大 いとう も え 連日、殺人事件、自殺、テロ、戦争など、「死」に関する様々な出来事が多々報道されています。泣き崩れる遺族、神妙な顔で何かを語る関係者、淡々と原稿を読み上げるアナウンサー。テレビ画面に映るそれはあまりにもありふれていて、何も感じないかも知れません。 では、「生」についてはどうでしょうか。今、私たちは生きていて、その間にも新たな命が誕生しています。動物も植物も、互いに色々なつながりを持って地球で生活しているのです。でも、毎日朝起きるときに、「ああ、今日も生きているのだな。」と実感しているかどうかと言われれば、そうではないのではないかと思います。たいていの人は日中の活動の支度に追われて、そんなことを考える余裕もないでしょう。 「死」と「生」の二つは真逆のものなのに、どちらも身近にありすぎて、普段はなかなか意識できないという共通点があります。逆に、ずっとそのこと考えていたらきりがないかも知れません。 しかし、社会から犯罪などをなくし明るくしていくためには、生と死への意識、つまり「命への意識」を高めることが必要なのではないかと私は考えます。命への意識の低さが、今の社会に反映されているのではないかと思うのです。 友達と話しているとき、たまに「死ね」や「殺す」といった言葉を使う人がいます。冗談で言っているのだろうと思いますが、冗談でそういう言葉が使えてしまうというのもどうなのでしょう。 自分に命があるのと同じように、他の人にも命があります。その重みに変わりはありません。それなのに、命を捨てる、または奪うということを軽々と人前で口にすることができてしまうのです。これは、個人だけの問題ではないと思います。 テレビや漫画などでも、そのような言葉が安易に使われています。それは、社会全体が命をあまり重くみない風潮になっているからではないでしょうか。 命は、この世界にあふれているものだけれど、一つの存在に一つしか与えられません。そのことを皆があと少しでも意識することができたら、命を無駄にするような行為を今よりも減らすことができると思うのです。 私の考えは漠然としていて、もっと具体的なことを成さなければ意味がない、という人もいるかもしれません。けれど、具体的な策を打ち出す前の心構えや志も大切なのではないかと思います。 夜、布団に入ってから眠りにつく間でもいいです。今日で出会った命あるものを、一つ一つ思い出してみて下さい。人間に限らず、動物や植物も含めてです。それぞれが一生懸命に生きている姿を思い浮かべて下さい。そして、自分にもそれらと同じように命があるのだと心のどこかで思って下さい。きっと、自分も他のものも、同じように大切にしたくなるはずです。 命への意識を高め、命あるものを思いやること。それこそが明るい社会への第一歩だと思います。私もその社会の一員になれるよう、自分のできることから努力したいです。 人の命には限りがあります。だからこるかが大切になってくるのだと思います ぼくは、幼稚園の年長の時、一ケ月経験があります。病名は髄膜脳炎でし手足が震えて、急に力が入らなく、なん親が気づき、その後、頭が少し痛くなっ七度五分位出たので、近くの医者に行ただの風邪だということで、熱さましだ子を見ましたが、薬を飲んでも、症状親が、「手足の震えが変だ、気になる。別の救急病院に行って検査をしたら髄らすぐ入院して下さいということでした。たので、どんどん良くなると思っていた位経ってからいきなり、けいれんを起こ止まり、生死の境をさまよってしまいまし戻ってからも少しの間、脳がおかしかっ「脳が損傷をうけちゃったのかも。」と思 それから、何年も薬を飲み続けて、検ん受けて、今は、元気に何事もなく過ご こんな経験をしたので、ぼくは余計にあるものではなくて、命は大事なものだと よく、いじめや悩みなどで、自ら命をますが、ぼくからしたら、それは、とてもことだと思います。確かに、いじめられら良いか、分からない程の悩みがあっりに相談もできなくて、死にたくなるかもでも、死ぬくらいの覚悟があるなら、も わたしたちはふだん、ふわふわ言葉とちくちく言葉のどちらを使っているのか、考えて生活しています。 ふわふわ言葉は、相手をほめる言葉はもちろん、「おはよう。」や「ありがとう。」など、相手の心を温める言葉です。一方ちくちく言葉は、相手に対する文句や悪口はもちろん、「早くしろよ。」や「うるさいんだよ。」など、相手にいやな思いをさせてしまう言葉です。 そして、世の中の人はだれだって、心の中に「心のパズル」という物を持っています。相手が笑顔になるようなことをするとピースが少しずつうまっていき、逆に相手がいやな気持ちになるようなことをしてしまうと、ピースはへってしまいます。だから、一人ひとりがおたがいに仲良くすれば、心のパズルもどんどんうまってみんなが幸せになり、毎日がもっと楽しくなる印だと思います。学校の友達はもちろん、おうちの人や地いきの人、担任の先生にもあいさつをすると、やさしく返事をしてくれます。それほどわたしたちのことを一生けん命考えてくださっているんだと思います。そして、たった一言のふわふわ言葉で心のパズルはどんどんうまっていくので、世の中の人もわたしたちもみんな笑顔になると思います。 わたしの学級のみんなはとてもやさしい子が多いです。しかし、わたしに対して冷たくせっして来る子も少しいます。ふわふわ言葉とちくちく言葉がいっせいに飛び交うと何だかふくざつな気持ちになります。そしていくらちくちく言葉で人をきずつけてしまっても心のピースはなくなってゆくだけなのに。人のピースもへってしまうだけなのに。 このように、ふわふわ言葉とちくちく言葉はこんなちがいがあります。罪を犯してしまった人に対して冷たいたいどでふるまったりかげでちくちく言葉を使ってうわさをするのは良くないと思います。たしかに、罪を犯してしまうのは悪いことです。でも、罪を犯してでも生きていきたい、生きる場所さえ無いし、これから反省して立ち直ろうと思っているのに、冷たいたいどでふるまうと、自分も罪を犯した人も心のピースはゼロのままです。 あいさつだけでも構わないと思います。 みなさんのたった一言のふわふわ言葉で明るい社会は作りだされていくのだと思います。 いつも登下校にいる旗ふりのおじさんしているだろうか。私は毎日あいさつをはうれしい時も、楽しい時も悲しい時も辛りのおじさんと話す、それだけで笑顔にな「あいさつ」をしているからだ。 旗ふりのおじさんと、私は、毎日あいさいる。いつも「おはよう。今日もがんばろ日何があったの。」「明日も元気に登校してもやさしい言葉をかけてくれて、いやなれる。 しかし、下の学年はあいさつをしているしていない人もいる。はずかしくて、しゃろうか。あいさつを交わさない人は、反を持った人もいれば、何の気持ちを持たけれど、旗ふりのおじさんの気持ちになっなぜだろうと複雑な気持ちになると思うはずかしいと思う子がどのような人なら、るのだろうか。それは、きっと「笑顔」のあ私は知らない人でも顔を合わせれば、笑うすると、知らない人でも笑顔を送ってくれ作文コンテスト受賞作品作文コンテスト受賞作品作文コンテスト受賞作品作文コンテスト受賞作品ふち推推進委員長賞推進委員長賞推進委員長賞常任委員長賞作文コンテスト 中学生の部 受賞者
元のページ
../index.html#3