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3問い合わせ先 申込み先 ホームページ Eメール ファクス  フリーダイヤル 保育あり ※費用の記載がない事業は無料です問申HPEMFAX保【妙見堂】重要文化財指定にあたって法明寺 住職 近江正典さん このたび雑司ヶ谷 子母神堂が国の重要文化財指定を受けることになり、喜びとともに改めて責任の重さに身の引き締まる思いです。 子母神堂本殿は寛文4年(1664)、広島藩主浅野光晟公夫人の自昌院殿英信日妙大姉の寄進により建立され、寛文6年(1666)に開堂供養が行なわれました。今年で開堂350年になり、このような年に重要文化財指定を受けることに深い感慨を覚えます。 今回の指定までには地元はもとより大勢の皆様のお力添えをいただきました。特に日本女子大学名誉教授の永村眞先生には調査以前の段階からご指導をいただき感謝に堪えません。また日頃から雑司が谷地域のまちづくりにご丹精をいただいている高野之夫区長様をはじめ豊島区役所の皆様、文化財保護のためにご尽力を頂いている三田一則教育長様、豊島区教育委員会、東京都教育委員会の皆様、防災、防犯面で特段のご配慮をいただいている豊島消防署、消防団の方々、目白警察署の皆様など、 子母神堂を取り巻く地域の皆様の切れ目ないご支援の賜がこの指定につながったものであり、深く感謝申し上げます。また、私の師父であり法明寺先代の近江正隆師が昭和50年から4年をかけて行なった昭和大修理も大きな要因となりました。解体復元という 子母神堂建立以来の大工事を施したことで保存状態が際立っていたのです。こうした歴代の労苦により護り伝えられてきたお堂は、江戸時代から伝わる御会式の再興やすすきみみずく保存会の結成などを促し、そうした活動が一昨年の日本ユネスコ協会連盟の未来遺産登録、昨年の万灯練供養の豊島区無形民俗文化財指定へとつながり、 子母神堂の重要文化財指定に結実したものだと思います。改めて関係者の皆様に感謝申し上げます。  子母神堂は単に文化的な遺産としてだけではなく、今も人々の祈りの場所であり、心のよりどころとして信仰を継承しています。今後も地域の皆様、参詣の皆様が集い憩う場所として 子母神堂を護持していきたいと思います。 日蓮宗では、法華経の守護神としての 子母神信仰とともに、北極星の精を、息災延命を守護する北辰妙見大菩薩としての信仰もあります。 子母神堂と密接な関連があることから、妙見堂も附指定とされました。 本年5月、文化審議会は文部科学大臣に、「雑司ヶ谷 子母神堂」を重要文化財として指定するよう答申しました。今は安産祈願や初参りに訪れる親子の姿が数多く見られる 子母神堂ですが、堂としての起源は16世紀つまり室町時代までさかのぼります。雑司ヶ谷の畑から掘り出された 子母神像をまつる 子母神堂は、江戸時代になると様々な願いをかなえる、特に子どもの成長をまもる霊験仏として、江戸町から多くの参詣者を迎えるようになりました。重要文化財に指定された 子母神堂は、本殿・幣殿・拝殿から構成されます。寛文4年(1664)、法華宗(日蓮宗)の熱心な信者であった広島藩主浅野光晟の正室自昌院により本殿の造営が始まり、同6年に落慶しました。既に重要文化財に指定されている護国寺観音堂よりも半世紀も前に造営された 子母神堂の見事な建物が、重要文化財として指定されたことを、地域に関わる一人として大きな慶びとしたいと思います。日本女子大学名誉教授 永村 眞さん雑司ヶ谷 子母神堂が重要文化財に永村 眞さんプロフィール日本女子大学名誉教授として日本中世史を専門に研究。江戸時代の雑司が谷についても造詣が深い。鬼つけたりしてい かつて、鬼子母神は自分の子どもを育てるため人間の子どもをとらえる鬼として恐れられていました。 それを見かねたお釈迦様が鬼子母神の子どもを隠したところ、自分の子どもを失うという深い悲しみを知った鬼子母神は悔いを改めて、子どもを守る神となりました。 改心した鬼子母神には角が無いので、「 」が使われるようになりました。 子母神の鬼の字に点がないのはなぜ?つの◉自由学園明日館◉豊島長崎の富士塚豊島区内にある国の重要文化財 大正10年(1921)、羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として、フランク・ロイド・ライトの設計により建設されました。平成9年に国の重要文化財に指定されました。 東京都内にある江戸時代に築造された富士塚の中でもよく原型をとどめていることから、昭和54年に国の重要有形民俗文化財に指定されました。豊島区内の国重要文化財巡り健康ウォークラリー区内の3つの重要文化財を見学するウォークラリーを10月に開催します。詳細が決まり次第、「広報としま」や区のホームページでお知らせします。■問文化財グループ☎3980-5163

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