20180815_gougai
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打ち明けてみてごらん推進委員長賞命の重さ推進委員長賞、~犯罪や非行を防止し、立ち直りを支える地域のチカラ~“社会を明るくする運動”“社会を明るくする運動”“社会を明るくする運動” すべての国民が犯罪や非行の防止と罪を犯した人たちの更生について理解を深め、それぞれの立場において力を合わせ、犯罪や非行のない安全・安心な地域社会を築こうとする全国的な運動です。毎年7月を強調月間として全国で展開されています。表彰式(小学生の部)7月8日(日)中央大会「区民のつどい」を開催しました!作文コンテスト表彰式推進委員長賞・常任委員長賞作品発表第一部第二部大正大学 ジャズ研究会大正大学 雅楽倶楽部出演団体《“社会を明るくする運動”とは》小学生の部小学生の部中学生の部中学生の部 皆さんは、人生の中で対人関係においてなにかトラブルを起こしたりしたことがありますか。 ある一つのきっかけで友達と亀裂が入ったり、悪い方向に向かうと無視や嫌がらせにつながったり大変なことになります。そこで私は様々なトラブルの中で「いじめ」について視点を置きます。いじめはいつおこるか分からない恐怖です。だけど、どうしていじめが始まるのか。それは人それぞれの理由があります。私はこんな経験をしました。 かつて、私は小学一年生から小学三年生の二年間いじめられました。しかし、私は友達に不快なことや迷惑をかけないようにしていました。 そんな私が、学校に登校したその日から苦痛の日々を送るとは思いも寄らなかったです。 毎日、色んな人から暴力を受けたり愚痴を言われたり、ひどいときは物がごみ箱に捨てられて、無くなったりしたことさえありました。また、家に帰るとお母さんとお父さんが喧嘩をしていて私はお父さんに叩かれることが多々ありました。そのときはいつもお母さんが泣きながら、「ごめんね。」とかすれた声で言いながら大きな体で私を抱きしめてくれました。そのぬくもりは今でも忘れられないです。だけど家でも学校でもつらい日々が続きもう我慢の限界が来て何度も自殺しようと考えました。それからそのいじめが二年も続こうとしたとき、私は初めて泣きました。 自分が悪い、取り柄がないと勝手に自己嫌悪に陥りました。それでも、親に会うときは無理矢理でも作り笑顔をしようと心に誓いました。 そんなある日、あるニュースを見ました。 小中学生でいじめを理由に自殺をしていることを知りびっくりしました。「私もこの中に入るんだろうな。」と心の中で思いながら自分の部屋に戻ろうとしたとき、ある言葉が印象に残りました。その言葉が、「みんなは生きている限り命はある。その命を大切にしなさい。だって生きる価値プログラム西巣鴨中学校3年生佐藤 青空さんさとう あおぞらのない人間なんていないんだもの。」でした。聞いて号泣しました。 だけど、次の一言にもっと泣き出してしまいました。それがこの言葉でした。「打ち明けてみてごらん。」この一言が心を動かしてくれました。そして、お母さんが頭に浮かびました。お母さんに打ち明けてみよう。と。 それから勇気を出してお母さんのところに行きました。緊張はしたけど打ち明けてみたらお母さんが泣き崩れて「ごめんね。なにも気付いてあげられなくて。母親として失格ね。」と言いました。私も自然と涙が出てきました。 だけど、打ち明けることができて嬉しいのと、またお母さんを泣かせてしまった悲しみの両方の気持ちが重なりました。その後、先生と相談をして、その友達と話し合って和解しました。そして、ここに引っ越してきたいまは友達と仲良くしています。仲良くなった友達も連絡したり、夏休みや冬休みに会って遊んだりしています。 このことを通して、思ったことが二つあります。 一つは、いじめてる人は別の視点から見て物事を考えいじめをしているということ。 いじめられている人は、自分を責めないで。 辛いことはあるけどこれからきっと楽しいから。乗り越えて人生は無駄じゃないから。 自殺は絶対しないでください。 もう一つは、少しのことでも人に打ち明けてみること。一人で抱え込むとストレスや苦痛が積み重ねられ、自分がだめになります。 そうなると、自殺につながるので人に打ち明けてみましょう。そして、大人でも子供でも悩みは必ずあります。やがて、悩みがストレスに変わることだってあります。ストレスに変わるまえに打ち明けて、聞き手の人は聞くだけでもいいですが、あいづちなどしてあげてください。そして、「いじめ」を徐々に減らしていく必要があると思います。 私は、命について真剣に考えさせられたきっかけは今までに二回だけあります。 一度目は、私が幼稚園の年長だった時、妹が生まれる瞬間に立ち会ったことです。お母さんのおなかがどんどん大きくなって話しかけながらなでるとそれに答えるようにボコボコと動いていて、本当にそこに新しい命があるということがすごく不思議だったのを、覚えています。生まれてくるまで、毎日たくさん話しかけたり、食事に気をつけたり、かぜをひかないようにしたり、ころんでおなかをぶつけないようにしたり、家族みんなでおなかの中にいるたった一つの命を大切に守りながら長い時間をかけて妹は生まれてきました。その妹の泣く声を聞きながら一番最初にだっこした瞬間、すごく温かくて小さいのに、ずっしりと重くて、私はあの時ひざの上で泣いている妹に負けないくらい泣きました。何であんなに泣いていたのか、今思い返しても、はっきりとした気持ちは分からないけれど、うれしいと思う気持ちよりも、命に対する重さを感じたからだと思います。その経験をしてから、みんな平等にお母さんのおなかから命がスタートして大切に守られながら長い時間をかけて生まれてくるのに色々な環境や時間の中で簡単に失われていく命が多くあるという現実を知ると、とても悲しい気持ちになります。新聞やテレビを見ていると、毎日のように事故・事件・病気・戦争・自殺など人の命について報道されています。それを見て私はいつも守ることのできた命はたくさんあったんじゃないかとすごく思います。その中で周りの人が助けて救える命には限りがあるけれど、自分自身がたった一つしかない命の重さに気付き、自分のことを大切にできる人が増えてけば周りの全ての人の命も同じように大切で決して傷つけてはいけないしすごく重くて尊い存在と当たり前の気持ちに気付け、それが多くの人の命を救うことにつながるといつも思っています。私は妹の命の重さを知ったと同時に自分の命の尊さを知れました。 二度目は、五年生の時に行った立科で出会った動物の命です。酪農体験で聞いた「ここにいる動物たちは、人のために生きて、命を落としてくれる」という言葉です。その言葉がとてもショックで、色々な命について深く考えさせられるきっかけとなりました。今まで私たち人間は、当たり前のようにたくさんの命をもらいながら生きていたのだと気付き、目の前にいる大きなかわいい目をした牛をブラッシングしながら自分の気持ちと戦っていました。食べ物になっていく命の重さとその命に支えられて生きている自分の命の重さのちがいに気付いた瞬間自分の命は本当に大切にして生きていかなければいけないし、自分だけの命で生きているんじゃないのだと基本的なことに気付かされました。 これから色々なことを経験していく中で、たくさん命について考えていかなければならない場面が出てくると思うけれど、まだ私が唯一経験したことのない大切な人との命の別れがきた時に、自分がどう感じてそれをどう乗り越えて生きていくのか、その時が私にとっての第三の真剣に命について考える瞬間になると思います。大島 唯花さん目白小学校6年生おおしま ゆいかセレモニー音楽会2019年「東アジア文化都市」国内都市"#!"078+.*(4'$%')1#23-&,/,`…R@PC(D_5342),!-!.!/`…G[7?:9;KMGY#!"$%8!56XF"^TD]L"H46ASZH46JIB*171―8422^TDUQO2―45―1!3981―1111=#><#8http://www.city.toshima.lg.jp/\N.+W&-+,1W'1E,0VXF
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