20230815_gougai
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★★「社会のひとりとして」推進委員長賞★★人と人、心と心をつなぐ社会へ推進委員長賞~犯罪や非行を防止し、立ち直りを支える地域のチカラ~7月9日(日)中央大会「区民のつどい」を開催しました!“社会を明るくする運動”“社会を明るくする運動”“社会を明るくする運動”作文コンテスト表彰式(小学生の部)作文コンテスト表彰式(中学生の部)中学3年生になり、この作文を書くことも最後になった。社会を明るくする運動の始まりは、第二次世界大戦終戦から4年後、戦争で家族を失い、戦災孤児となった子ども達を貧困や犯罪から守るために始められた運動だという。両親、親戚等の保護者を失った子どもの数は、約12万3511人にも上った。この運動をきっかけに、これまでに多くの人が、孤独に陥ったり犯罪に巻き込まれてしまう未成年達の問題を知り、取り組み、そして救いになってきたと思う。私達は、昔も今も、世界中の人々の平和を願い、誰も傷つかない世界を願っている。しかし、その願いは、実現できてはいない。今も、私達の世界の中で、戦争や犯罪は起きている。大人も、小さな子どもも、一瞬の出来事でかけがえのない命が、絶たれてしまうことがある。そして、自ら命を絶ってしまう方も、いる。絶たれてしまった命の持ち主も「人」であり、その命を絶ってしまった人も、「人」である。私も「人」であり、あなたも「人」である。すべてが等しく大切な命である。この悲しい矛盾を、私はどう考えたらよいのだろう。中学生になった私は、活動の場が広がっていった分、より多くの人の存在を意識するようになったと思う。その中で、自分と気持ちの合う人に出会うことは、そんなに簡単なことではないと気がついた。何気ないことでも、誰かから共感を得るとそれはとても嬉しいことだと感じる。そして一緒なのだという安心感も得られる。一方で、共感を得ることができなかったりした時には、不安になり、孤独に感じたりもする。なぜそう感じるのだろうか。そうか。その人と自分について「比べて」いるからだ。その人の考えだったり、容姿だったり、成績だったり。とても小さなことから大きなことまで、様々だけれど、比べてしまうとそれまでになかった感情が、生まれるのだ。「あなたはみんなと違うね。」ある日、友達からの何気ないひと言だったけれど、その言葉に私はどうしようもなく不安になった。ぼくは読書が好きで、本を読むときにはブックカバーを使っています。ブックカバーの表紙にはこう書いてあります。「人はみな、生かされて生きてゆく。」ぼくのブックカバーは、受刑者が刑務作業で作ったものです。罪を犯した人が作ったものと聞いて、どのようなものを思い浮かべますか。雑に作られている?適当に作られている?実際に手に取ってみると、とてもていねいに作られています。茶色い革の生地には傷ひとつなく、ミシンのぬい目もまっすぐきれいにそろっています。ぼくは初め、悪い人が作ったものなんてこわいし、使いたくないと思いました。しかし、ブックカバーを見ているうちに、疑問がわいてきたのです。こんなにていねいにものを作ることのできる人が、なぜ悪いことをしてしまったのか、罪を犯してしまったのか。同時に、こうも思いました。もし困ったときや悩んだときに身近に話せる人がいて、支え合える社会だったら、悪いことに手を染めることなく、前向きに生活していけたのではないか。だったら、ぼくは社会を明るくしていきたいと思いました。明るい社会、ぼくが真っ先に思い浮かべたのは、祖母とお客さんの笑った顔でした。ぼくの祖母は理容師をしています。青森県で生まれ育った祖母は、うでをみがくために上京し、もう60年以上髪を切り続けている、現役の理容師です。ぼくは物心ついたときから坊主頭ですが、いつも祖母がバリカンで刈ってくれています。祖母の理容店はぼくの家の目の前にあり、ぼくが学校から帰ってくると「おかえり」といつも声をかけてくれます。お客さんがいないときには、そのままお店に寄って、その日学校であったことを聞いてもらったり、宿題につき合ってもらったりします。お客さんがいるときには、「いらっしゃいませ。ゆっくりしていってください。」と、ぼくからお客さんにあいさつをするようにしています。ぼくは幼いころから祖母のお店でお客さんと接しているため、知っている人に会ったらあいさつをすることが習慣になりました。初めははずかしさもあったのですが、あいさつをすると気持ちがよく、その瞬間、なんとなく心が通じ合ったような気がして、元気よくあいさつできるようになりました。豊成小学校 6年生長﨑 大晴さん明豊中学校 3年生兵藤 杏樹さん何が違うのだろう。何がいけないのだろう。あれか。これか。みんなと同じになるにはどうしたらよいのだろうかという考えがぐるぐる巡る。あまり何度も経験したくない様な不安感に襲われた。そして、正解が見つからないまま、小さな石の様な固まりが、心にコロンと残った。家族がいて、友達がいて、学校があって、地域があって。それぞれの社会の中でも、日々、比べてしまう時がある。(今はその時じゃないのに)相手とタイミングが合わなかったりして考えが合わず、理不尽に思うこともある。小さな石は、また、コロン、と生まれる。悲しいな。つらいな。そんな風に思っても、自分の居場所は簡単には変えることはできない。そんな時に、「生きづらい」という言葉が目に留まった。生きづらい、とは「社会の中に自分の居場所がみつからず、将来への展望が描けない疎外された孤立状態をさす」表現なのだそうだ。それぞれの社会で暮らしている人も、自分の居場所がないと感じている人は、たくさんいるのではないか。心に溜まる小石は孤独感を増し、自分も傷つきながら、時に相手のことも傷つけてしまう。私達は、生きている中で、対立、戦争、別れ等、いくつかの悲しい矛盾をこれからも抱えざるを得ないのだと思う。文化や考え方の違い、その人を取り巻く環境や事情によって、どうしても理解し合えなかったり、孤独に陥る時もあるのだと思う。しかし、どの様な反対の考えを持っていても、それを憎しみに変えてはいけない。そして、孤独を感じている人へも、誰もがそっと寄り添える社会のひとりでありたい。挨拶を交わし、相手の心に耳を傾けること、そして、笑顔を絶やさないこと。私はこれらを貫いていこうと思う。どうか、あなたの笑顔も見せてほしい。その笑顔は、誰かの心を優しく照らすだろう。どんな時でも笑顔に溢れた社会に、私は生きていきたい。出典:法務省 ホームページ「社会を明るくする運動」について祖母のお店には、いろいろなお客さんがやって来ます。1か月に1回、定期的に髪を切りに来る人、引っ越して家が遠くなったのにわざわざ車で通ってくる人、何十年もずっと通い続けている人。もちろん、近所に住んでいる顔なじみの人も来ます。祖母のところには、当然、髪を切りたい、身だしなみを整えたいという人がやって来ます。でも、そうではない人も結構来るのです。チリンチリンと鳴るドアを開けて、「元気?変わりない?」と、少し言葉を交わしただけで帰って行く人がいます。旅行に行って「良かったら食べて。」とおみやげを持ってきてくれる人がいます。ぼくが赤ちゃんだったころを知っている人は、「もうこんなに大きくなったの。」と、いつも驚いてくれます。ぼくがコンクールで賞をとり、地域の広報紙に名前がのったときには、「これ、お孫さんでしょう。」と、その広報紙を持って朝一番で見せに来てくれた人もいました。祖母とお客さんが話しているときの顔を見ていると、いつも笑顔で、人と人が、心と心がつながっているように感じるのです。ぼくはこの、人と人を結びつける力、心と心を結びつける力こそが地域の力であり、重要な力なのではないかと考えました。今、日本は高齢化社会です。ぼくが住んでいる豊島区は、65歳以上の高齢者が約20%、5人に1人の割合です。そのうち、一人暮らしをしている高齢者は約34%、3人に1人の割合です。今後も高齢化の影響でさらに増加していくことが予想されています。そのような状況だからこそ、地域の力が必要だと思います。祖母は、年をとっちゃった、転んでケガをしちゃったと、いつもおもしろく話してくれます。いいことばかりじゃなくていい、大事なことは、ささいなことでも大変なことでも、いつでもどこでもだれかと話せることの積み重ねなんだと思います。元気がなかったら声をかけてみる、悩んでいたら話を聞いてみる、困っていたら手伝えることはないか聞いてみる、小学生のぼくにもすぐにできそうなことばかりです。安心安全で明るい社会にしていけるよう、地域の一員として、自分のできることからひとつずつ取り組んでいきたいです。令和5年8月15日「第73回“社会を明るくする運動”」特別号の構成1面…作文コンテスト表彰式1・2・3・4面…作文コンテスト受賞作品発行:豊島区編集:子ども家庭部子ども若者課〒171―8422豊島区南池袋2―45―1☎3981―2187ホームページhttp://www.city.toshima.lg.jp/令和5年(2023年)8月15日発行SDGs未来都市としま豊島区は持続可能な開発目標(SDGs)を支援しています。特別号

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