20230815_gougai
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★★★★★★作文コンテス作文コンテス1,190作品小学生の部小学生の部「挨拶ってなんで大切なの?」道徳の授業で挨拶が取り上げられるときにいつも疑問に思います。だいたいみんなの口から出てくるのは、「マナーだから」「スッキリするから」等々。しかし、私はあまりしっくりこないのです。マナーなら何故マナーになったのか。「スッキリ」するのは何故か。私は挨拶を、信じるのではなく、逆に疑うことから始めてみました。私達6年生は、今年で卒業するので、時々卒業旅行の話をすることがあります。以前は隣のクラスで、卒業したらディズニーへ行こうという話があったそうです。私や他の同級生は、謎の「人数制限」によって入れませんでした。そのときに深く傷ついた友人がいました。私は、他人についていくよりみんなに「行こう!」というほうが好きだし、まだ何ヶ月も後のことだから変更の可能性がかなり高いため、それほどがっかりはしませんでした。だからその時は分かってあげることが難しく、とにかく悲しいのだということしか知ることができませんでした。きっと彼はその時、私とは違い、孤独のどん底で一人置いていかれた気分に浸っていたのだと思います。分かり合うことが難しい中で、他の人には見えない寂しさの闇から彼を救うことができるのは何か。家に帰って考えました。学校へ行ったらとりあえず、声をかけてみることにしました。翌日、学校で「おはよー!」と声をかけました。それまでつらそうな顔をしていたけれど、声をかけたら笑顔になってもらえました。挨拶で「自分は味方だよ」と示すことができるのではないか。このことを機に、今度は自分が、みんなに置いていかれることの恐怖のなか、挨拶で助けてもらった経験を探しました。私も寂しい思いをした経験がありました。運動会でクラスで使う旗のデザインを決めるため、宿題で一人一人デザインを描き、投票で決めるということになりました。私は、何時間もかけて、丁寧に旗のデザインを描きました。投票の当日、頑張って描いた私の作品には一票も来ませんでした。心が凹みました。見捨てられた気がしました。一生懸命描いたものだったから、自信を失いました。絶望の淵にいる気分でした。本当はそれほどのことでもないのに。まるでディズニーに行けなかったあの友人のような気分で家に帰りました。「おかえ挨拶 私達にもできる魔法優秀賞富士見台小学校 6年生  若井 蒼生さんり!」。すると、いつもは当たり前に思えた母の声に、味方になってくれたような心強さを感じました。みんな感じ方が違うから言葉で分かり合うことは難しいけれど、挨拶の声をかけることで相手との関係を再確認することができるのだと思います。些細なことに思えるかもしれませんが、私はとても重要な意味があると思います。いつまでもなくならない犯罪。いけないと分かっていても非行へと走ってしまう人はきっと、悩みを一人で抱え続けて、抱え続けて、ずっと抱え続けて、限界という崖に行き着いたときに、一人で抱えられなくなり罪を犯してしまうのでしょう。「生きる意味を見い出せず、大きな事件を起こして死刑になりたかった」という悲しい言葉を残して逮捕されていく人もいます。そこに至るまでに手を差し伸べてあげられるのが「挨拶」なのだと思います。今まではマナーとしか思っていなかった挨拶にとても大きな役割があるのだと考えて分かりました。私達はいつも、犯罪非行がなくなり、取り残される人が消え、社会に光があたることを願っています。そのためにまず自分達にできること。身の回りにいる人に積極的に挨拶の声をかけていくこと。私は、これからもこの魔法を大切にしていきたいです。私の考えを参考に、社会を明るくする運動を行っていただけたら光栄です。先日、妻の介護につかれ、その妻を殺してしまった男性に、実刑判決が下ったというニュースを聞きました。他にも同じようなニュースをよく見かけますが、その約2割の動機が、介護・看病づかれであるそうです。私は、このニュースを見て、とても不思議に思いました。私は、3歳の頃からバレエやスイミングに通っていて、今でも祖母や祖父が送迎でついて来てくれています。そして、いつも会う度に、「元気だった?」と聞いてくれます。毎回くれるパンやスイーツ、旅行好きの祖母の会話。とても楽しいので、介護をしていても苦ではないと思っていました。そして、家族を殺してしまう気持ちも理解できませんでした。私は介護をしたことがないので、まずは介護する側の人の気持ちを考えてみました。「なぜだろうな」と考えたとき、理由の一つとして、私は「誰にも頼れないから」ではないかと思いました。「恥ずかしい」「人に迷惑をかけたくない」「誰に相談したらよいか分からない」インターネットが発達し、離れていても人と人とがつながれるようになった現代だからこそ、近くの人と人とのつながりがうすれていることによる問題。その悩みこそが、犯罪を起こす根本の原因ではないかと考えました。最近では、小学校高学年では塾に行っている人も多く、放課後地域と関わる機会がないのも現状だし、私も近所付きあいにおいて、軽薄な部分があります。どうにかして、地域とのつながりをつくれないか。そう考え、(皮肉にも)インターネットを使って、「地域 つながり 取り組み」で調べてみました。すると、一つの記事がヒットしました。「SDGsと地域福祉。大学教授が解説する、人と地域が『つながる』インクルーシブな地域共生社会」。インパクトのある見出しの記事を読みはじめました。その記事では、大学教授が「コミュニティカフェ」について紹介していました。「コミュニティカフェ」とは、住民の高齢化や高齢者の孤立や孤独死などの問題を解決するべく、関係づくりや居場所づくり、高齢者の孤立防止などに特化したカフェだそうです。また、私の家の近くにもカフェがあることが分かり、社会が良い方向へ向かっていることを実感しました。しかし、「コミュニティカフェ」に行きにくい人や、忙しくて行けない人もいるはずです。その人達は、何もしなくてもよい困ったときは、お互い様常任委員長賞駒込小学校 6年生  粂井 新菜さんのでしょうか?きっとそれは違うはずです。少しずつできる取り組みとして、あいさつをするべきだと思いました。あいさつには、人を元気にしたり、うれしくしたりできる効果があります。誰かとのつながりを感じられるあいさつを、みんなが取り組むべきだと思いました。私はこの翌日、早速同じマンションの人にあいさつをしてみました。「おはようございます。」最初の声はとても小さかった。けれど、2人目、3人目とあいさつをしていく度に、どんどん声は出ていきました。慣れると心がすがすがしくて、気持ちよいものとなりました。次の日。私が同じようにあいさつをしていたら、笑顔で返してくれた人がいました。中には話しかけてくれる人もいて、このしゅん間、人とのつながりをしっかりと感じたような気がしました。介護づかれによって、人を殺めてしまうということは、意外と誰にでも起こりうる犯罪です。だからこそ、誰かに頼ることをみんなが覚えるべきだと思いました。私は、バレエの荷物が重いとき、祖父に持ってもらいます。でも、私は祖母の歩調に合わせて歩きます。世の中には、努力しても報われないこともたくさんあります。けれど、誰かの思いやりは、きっとどこかで返ってくるはずです。だから、一人の思いやりで、誰も孤立しない、誰も見捨てない社会になることを願っています。そして、「困ったときはお互い様」の精神を忘れずに、人を思いやり、頼れるようになれたらいいと思いました。 最近、私はロミオとジュリエットの物語を読みました。そのお話は、思いこみが原因で愛する人をなくしてしまった悲しいお話でした。ジュリエットが本当に死んでしまったことを思いこんだロミオは自殺をしてしまったのです。そして、ジュリエットもロミオの亡きがらを見つけ、後を追い、思いこみが両者を悲しませる結果になってしまいました。 このお話は、私にとってとても心に残るものでした。なぜなら私が習っているバスケットボールの試合でも似たような失敗があったからです。あと1点で試合をひっくり返す大事な場面で、自分の思いこみが原因で、仲間とプレーがかみ合わず、結果的に負けてしまったのです。その時はとても悔しかったし、なみだが勝手にこぼれ落ちました。 でも試合後にかんとくから話し合う機会が作られ、私たちのチームは次の試合でうまくボールをつなげることができました。そこで私は思ったのです。「もしふだんの友達とコミュニケーションでも、話をじっくり聞いたり、相手の気持ちに寄りそったりすることができたら、何でも話し合えて、良い関係が築けるのではないか」と。 つまり、自分の思いこみで行動するのではなく、自分の意思を伝え合うことが重要だということです。もし、友達からきらわれていると思いこんできょりを置いてしまったら、実は何も問題がなかったということがあるかもしれません。相手の話をじっくり聞いて、受け止めることが大切だと思うのです。私「人と人がつながり合う社会へ」優秀賞池袋本町小学校 6年生  大山 璃衣奈さんたちは一歩一歩、歩み寄る勇気が必要だと思います。そして、自分の意思を伝えることができる人になり、会話のキャッチボールを上手にできるようになることが大切です。そうすればもっと人と人がつながり合う社会になっていくと思います。 最後に、私たちは心も大切にすべきだと思います。失敗をおそれることはありません。失敗から学び自分の意思をしっかり持って、伝えることができる人になりましょう。そうすればより良い社会を築くことができ、人と人がつながり合うことができます。令和5(2023)年8月15日

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