20230815_gougai
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★★★★★★ト受賞作品ト受賞作品505作品中学生の部中学生の部悩んだ時に相談できる大人は何人いますか。「あなたはあなたのままでいい」と言ってくれる人が友達や家族、学校の先生、地域の人にいますか。この言葉は日曜討論の子ども・若者政策いま何が必要かの放送回、君の声が聴きたいのコーナーで16歳の子が「大きな目標を抱く事を強要しないでほしい」という意見に、小倉少子化担当大臣が仰っていた言葉で僕は自分の事のように感じて嬉しかった。タブレットで調べた所マザー・テレサの言葉だと知った。3月に母の病気が見つかり、医療ソーシャルワーカーに不安になった時に相談できるので少し気持ちが楽になった。僕は内閣府ユース政策モニターや豊島子ども会議に参加していて、政治家や行政の大人は子どもの意見に耳を傾けてくれて沢山心配をしてくれているのは伝わって来るのだが、僕の周りに政治に関心のある子はいないし、大人のメッセージは伝わっていないと感じ、僕は伝えたいと思った。日本の学校に通う子ども達は幸せなのだろうか?池袋図書館に『外国にルーツをもつ子どもたちの学校生活のウェルビーイング』という本があり野村あすかさんによると、日本の子どもの幸福度は38ヵ国中身体的健康は1位だったのに対して精神的健康は37位と差があると話題になったとあった。どうして差があるのか考えた時に、僕は小2まで埼玉県狭山市の公立小に通い、転居で小3から豊島区の公立小に転校し、2年前僕は6年生で僕の通っていた小学校では3分の2位が中学受験をし、最終的に学年の半数が国立や私立の中学校、中高一貫校に進学した。受験をした僕の友達が、冗談だとは思うが「受験に落ちたら死んじゃう。」と言っていて、そんな事ある訳ないので「死ぬ訳ないじゃん。」と伝えた。小学生の頃僕が思った事は、少子化で大学全入時代になったのに友達と遊ぶ時間を削って塾に行かなければならないのだろうか?親は勉強ができた方が将来の選択肢が増えるから塾に行かせたいというのは分かるけれど子どもは放課後友達と遊ぶ事よりも塾に行きたいと言う子が全てなのだろうか。昨年豊島区は、区内の小中学校で子どもの権利条約の区の条例をわかりやすくした漫画を配ってくれたが、その権利を子どもは行使できていないと思う。僕の中学校の校長先生が「西池中は不登校がとても多い。豊島区はオンライン授業に参加しても現在はそれだけでは出席にはならない。オーバードーズなどで苦しむ人が豊島区で出てもおかしくない。」と仰っていた。4月に放課後のフリースペースとして西池中に「にしまるーむ」ができた。僕が部活後通りかかると先生とジェンガをしている生徒がいて、中学生がいられる児童館の様で居場所の一つになっていると感じ嬉しかった。12月の豊島子ども会議の発表の講評で、今は区長の高際さんが「産んだ赤ちゃんに困った女の子が捨ててしまい犯罪者になってそのまま引き籠もりになってしまう」と仰っていた。僕以外にスマホを持っていない人は極少数で、あなたは、あなたであればいい優秀賞西池袋中学校 2年生 齋藤 夜空さん皆SNSをしていて知らない大人と繋がる事は簡単だ。SNSでは親や先生とは違い甘い言葉を掛けて来て騙して子どもの自殺を手伝う大人がいたり、親や先生から見えないので誹謗中傷を書かれて傷ついている子どもが沢山いて、それにより不登校になった子が出席扱いにならず高校や大学の進学に影響がある場合、子どもは自分の人生に希望を持てないと思う。4月にこども家庭庁が発足して「こども若者★いけんぷらす」のメンバーを小学1年生から29歳までの人を随時募集している。僕も登録していて先日ユーチューブでぷらすメンバーの会に参加し、こども家庭庁の職員さんがこども家庭庁が大切にする事を三つ仰っていて一つ目は「こどもの声・子育てをしている人の声」二つ目は「地方自治体と協力する」三つ目は「NPOや地域の人たちと話し合いをする」事だ。僕は1年間のユース活動を通じて、自分一人で考えていても問題は解決する事はないし、他のユースの意見を聴く事で新たな視点を得られたり、より良い意見が生まれると実感した。こども達からの質問コーナーで「不登校の人も参加してもいいんですか?」との質問に「もちろんです!」と仰っていた。自分の意見を言った所で変わらないでしょと思っている人もいるかもしれないが、全ての意見が通る訳ではないけれど、どういう過程で議論してきたかなどをフィードバックしていくとの事だった。僕は小学生の時立教大学のとしま子ども大学に入っていて、区長とティータイムの時に「公園でボール投げができるようにしてほしい」と頼んだ所、柔らかいボールなら投げてもよい事になり願いが叶って嬉しかった経験から、一人でも多くの子どもが参加をすれば幸福度も上がり笑顔で毎日を過ごせる子どもが増え、日本で学べてよかったと思えるようになると思う。差別は感染症よりも恐ろしいものだと思う。なぜなら、感染症に効く薬はあっても差別に効く薬はないからだ。新型コロナウイルスが流行し始めた頃、母は私に、自分が看護師だということを友達に言わない方が良い、と言った。私はしばらくそのことをずっと疑問に思っていた。人々のために一生懸命頑張っているのになぜ言ってはいけないのだろうかと思った。ある日、テレビの番組で、医療従事者の人やその人たちの子どもが差別を受けることがあるという事実を知った。保育園に子どもを預けることができなかったり、できたとしても他の子どもの親から避けられるなどのことを、医療従事者だからという理由だけでされていた。幸い、私の周りに医療従事者を非難するような友達はいなかった。だが差別を受けている人のことを思うと胸が痛んだ。この時、私は、私が周りから嫌がらせを受けないよう、母はあのように言っていたのだなと理解した。せきなどをすると、周りに白い目で見られる世の中になってしまった。本来は、周りで体調の悪そうな人がいれば、「大丈夫ですか。」と声をかけるべきだと思うのだが、今では逆に避けられるようになってしまった。それは、人々の心の中に、人を差別することで自分を守ろうとする意識があるからだと思う。そして、差別とは、人がもつ印象や偏見に原因があるのだと思う。差別をなくすために人々が意識すべき重要なことが私は主に二つあると思う。一つ目は、一人の人を視点や立場を変えて考えてみることだ。例えば、医療従事者の方々は、たしかに、日々感染者と触れ合っているのかもしれない。しかし、少し視点を変えて見てみると、それは私たちには分からない万全の対策をして接しているのである。社会は医療従事者の協力なくして成り立たないということが分かる。そう考えると、自分たちが偏見をもつ理由がなくなる。また人々のために危険を伴いながら仕事をしているのに周りから避けられてしまう人たちの心情も少しずつ分かっていくと思う。そうすることで、また接し方も変わってくるのではないだろうか。二つ目は、相手のことをより深く知ろうとすることだ。一度悪い差別に効く薬常任委員長賞巣鴨北中学校 1年生 後藤 仁さん印象がついてしまうと、それはなかなか消えづらい。しかし、ある一面だけを知って人の全てを理解した気になるのは良くないことだと思う。良い面を知っても悪い面を知ってもその情報だけで接し方を決めるのではなく、もっと相手のことを深く知ろうとすることで差別も減っていくと思う。偏見の恐ろしいところは、やがてじわじわとその人の周りに広がっていくことだ。つまり、その内容が悪い内容だった場合、先程述べた悪い印象をつくるきっかけを自分はつくってしまうかもしれないということだ。今まで犯罪を犯してしまった人は大勢いる。その人たちの中では社会に復帰する人がほとんどだろう。しかし、たとえ復帰できたとしても、どんな理由かも分からず、ただ犯罪を犯したという理由で、色々な差別を受けている人はたくさんいると思う。そしてその差別は、また新たな犯罪を生んでしまう。なぜなら、差別は人を孤立させてしまうからだ。再犯をした人は辛い思いをする。その犯罪の被害者も辛い思いをする。このように差別はたくさんの不幸をつくってしまう。私はこの作文を通じて差別について考えることがたくさんあった。そして、差別に最も効果的なものは、相手を思う気持ちとあたたかい言葉だと思った。考えた二つのことを心がけて、少しでも差別のない明るい社会をつくっていきたいと思った。 みなさんは何かのきっかけで自分を責めてしまうことはありますか。ちょっとした事でもそのままにせず、自分なりの落ちつかせ方がある事によって心の安定が保てると私は思っています。 約1年前、連続で自殺のニュースを見た時がありました。そんなニュースを見ながら私は、「なぜ自分の大切な命を自分の手でうばってしまうのだろう」と自分には考えられない行動を不思議に思っていました。それからしばらくした時、特に何かあったわけでもないのに、今までの自分の行動全てを「あの時こうしていれば」、「なんでできなかったんだろう」、「他の人はできるのになんで自分は行動できないの」と考えるようになった事がありました。あれだけ自分には考えられないと思っていたのに、私は「死にたい」と感じるようになってしまいました。いのちの大切さや、母が産んでくれた大事な存在だという事も心のどこかではわかっていたはずなのに、前向きに考える事ができませんでした。この時から私は、「いのちは自分の行動次第で簡単に、そして一瞬でうばえてしまう」のだと実感しました。 ここでもう一つ質問したいことがあります。みなさんは「人は死んでしまった後どこにいってしまうのか」、考えた事が一度でもありますか。私はあります。今でも考えます。幼い頃は、人が死んでしまった後天国か地獄にいくとばかり考えていました。しかし小学校中学年位になった頃、意識がなくなり、目の前が真っ暗になり、考える事すらできなくなるのではないか、そう思いはじめました。今でも想像すると怖くなります。みなさんもそうではないでしょうか。自分では意味も無く「死にたい」と言うのに、死んでしまう事を想像すると「怖い」と感じてしまいます。人間は矛盾でできているという言葉はこの生きるための第一歩優秀賞西池袋中学校 2年生 岩﨑 胡桃さん経験にピッタリ当てはまるものだなと感じました。もっと言えば、これ以上こんなにも当てはまる経験はないと思います。この経験を通して私が言いたい事は、自分なりの対処法を見つけてほしいという事です。母にも先生にも仲のいい友達にも相談できないし、相談センターのような所に電話するのも勇気がいるし、結局一人で抱え込んでしまう人が多いのではないかと思います。私の場合、そこまで学校でも話さない友達にあえて真けんに話すような空気感をなくし、今思っている事全てをネットを通して打ちあけてみる事にしました。その友達は「なぜ」などと深く聞こうとせず、「また話したくなったらいつでも言ってね」と、優しく話に付き合ってくれました。その出来事がとても嬉しくて、心が軽くなった気もしました。誰かに話すことだけが解決策ではなく、自分が今聴きたい曲を聴いてみるだけでも、思っているよりもだいぶ楽になると思います。 この作文が多くの人に読まれることによって、心が少しでも楽になったと感じる人が増える事を私は願っています。最後に、私達は今一度、「いのち」について考えなおすきっかけが必要なのではないでしょうか。そのきっかけの第一歩がこの作文になりますように。
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