20240815_gougai
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3中学生の部650作品ト受賞作品ト受賞作品ト受賞作品ト受賞作品 僕は、小学2年生の頃におじいちゃんを亡くしました。 ある日、いつも通り通っている学校に電話が届き、早退することになりました。家に帰ってお母さんから、実家に帰るから今すぐに準備をするようにと伝えられました。昼過ぎには家を出て、急いで実家に到着したのは夜でした。お母さんが玄関の扉を素早く開け、急いで靴を脱ぐのを不思議そうに見る僕、なんでそんなに急いでいるんだろうと思っていましたが、仏間の扉を開けると、思いもしなかった景色がありました。そこには布団の中に横になり、目を瞑り、肌が白く冷たくなったおじいちゃんがいました。お母さんはすぐに駆けつけ、冷たくなった手を握りました。僕は、そんなお母さんとおじいちゃんを、衝撃的な気持ちに押しつぶされ、立ち止まって見つめることしかできませんでした。 時間が経つにつれ、お葬式などの準備が始まり、おじいちゃんのことを考える日々が続いて、今まで僕はおじいちゃんに何もしてあげられていないと思うようになりました。今でも、おじいちゃんに小学2年生の頃の僕が、何をしてあげられたかは分かりません。でも、どんな些細なことでも、きっとおじいちゃんは喜んでくれると思いますが、おじいちゃんが何をしてもらえたら喜ぶのか、嬉しいのかが分かりませんでした。そう、僕はおじいちゃんのことを知らなかったのです。僕が生まれてから7年間の間でも、少ない時間しか時を共にすることができませんでした。おじいちゃんは僕との思い出がたくさんあるのかもしれないけれど、僕がおじいちゃんとの思い出を鮮明に覚えているのは、片手で数えられるほどしかありません。おじいちゃんはたくさん僕のことを可愛がってくれたのに、僕はおじいちゃんに何もしてあげられなかったことが心残りでした。だから、これからは人間関係で心残りにならないように、自分から相手のことをよく知ろうと、この経験で考えることができました。命を守るのは当然ですが、命は永遠に守ることはできません。皆いつかは終わりが来るのです。だから、終わりが来るまでの時間を大切に、そして記憶に残る良い思い出を作るためには、お互いのことをよく知り、仲を深め合っていくことが大切だと思ったのです。 それから、今までは他人事としてしか見ていなかった暴行事件やいじめによって自殺してしまったニュース。それまでは、「かわいそうだな。」と同情しかしていなかったし、どこかで他人事と思っている自分がいました。でも、おじいちゃんの死を思い出して、同情ではなく、理解していく必要があると感じました。これらの不快なニュースは、被害にあった人自身だけではなく、その人に今まで関わってきた人全員が被害者になり、つらい思いをします。他人事ではなく自分たちの住んでいる、身近な世界で起きていることを理解する必要があると思います。 今回、つらい過去を振り返って、これから二度とつらい思いをする人がいなくなってほしいなと、改めて思うことができました。その思いをしっかり自分の中にとどめて、生きていかないといけないと強い責任感を覚えました。 罪を犯してしまったとき、どうすればよいのだろうか。罪といっても、万引きだとか、大きなものではなくて、ささいなこと。友達に一言きつく言ってしまったとか、そんなこと。きっと、そんなことは罪とは呼ばないのかもしれない。だけど、そういう小さな罪はたくさん犯しているはずだ。 先日、部活の帰りに車いすのおばあさんを助けた。道の真ん中で、動きづらそうにしていたので、私と友人二人は、家まで送ってあげることにした。道中、いろいろなことを話したが、そこでおばあさんは「助かるわ。」や、「ありがとう。」と私たちに伝えてくれた。家まで送りとどけたあと、家までの道のりで、私は思った。「今日は良いことをしたな。」と。私の両親は、良いことをすれば巡り巡って自分に返ってくる、と言っていた。それでは、果たして悪いことをすればどうなるのだろう。たとえば、友人をいじめた、とか。きっといじめた人は、悪いことをしたのだから、周りにも嫌われてしまう。良いことをすれば、周りから好かれる。悪いことをすれば、巡り巡って返ってくる。もしも悪いことをしてしまったら、反省しなさい、と怒られる。悪いことをして、反省し、良い行動でそれを取り返そうとすることは、私は良いことだと思う。少なからず、困っている人は周りにたくさんいる。その人を一人残さず救うことができれば、社会は明るくなるのではないか。罪ばかりの世界より、罪があったとしても、助け合う世界のほうがもっと良いはず。犯罪を起こさないことは当たり前かもしれないけど、日常の中での小さな罪があったとしても、きちんと反省し、良いことで取り返そうとする気持ちが大切だと思う。一人一人がその気持ちを持つことで、誰かが助けられるはずだ。 私もあの日、おばあさんを助けた。助けることは、心もあたたかくなる。私はこれからずっと、助けるその気持ちを大切にして、社会の悲しみより、笑顔を増やしたいと思ったし、悪いことを悪いことで終わらせたくないと思った。 私は、犯罪や非行のない社会を目指すために、「あいさつ」が大切だと考えます。 私達は学校全体で、あいさつに力を入れて取り組んでいます。学校が始まってすぐの全校朝礼で、校長先生があいさつをする意義についてお話しされていました。私は、その話を聞いて、この「社会を明るくする運動」とあいさつのつながりについて、三つのことを考えました。 一つ目はあいさつを積極的に行うと、犯罪や非行の減少につながるということです。学校内であれば、すれ違った大人の人にあいさつをし、地域内であれば、知り合いの人に会ったらあいさつをすることで、ここの場所は人気のある場所だというイメージをつくることができます。人目のつく場所だと不審者は犯罪や非行をしにくくなります。結果的に、犯罪や非行の減少につながるのです。あいさつは、いつでも、どこでも、だれとでもできる、とても便利なものです。気軽にあいさつをするだけで、犯罪や非行の減少につながるのは、とても良いことだと思いました。 二つ目は地域や学校内での人と人とのつながりが強まるということです。これは、一つ目に言ったことにもつながりますが、あいさつをすることで、地域や学校の活性化も考えられると思いました。あいさつは人とコミュニケーションを行う上で、重要なツールであり、日々の生活の場面でも、あいさつをすることは多々あると思います。あいさつをするといっても、相手の目を見ずに、感じの悪い態度でされたら、お互いに良い気持ちにはなりません、相手の目を見て、相手に聞こえる声ですると、雰囲気も良くなり、地域全体の活性化にもつながると思いました。 三つ目は将来の自分の自信につながるということです。将来、学校生活だけでなく、受験や会社の面接であったり、会社の職場でも、あいさつが出来る人というのは、他者からの信頼が高くなります。逆に、そういった場面で出来ていないと、信用を失うことにつながり、失敗してしまう可能性が高くなります。そして、気持ちが沈み、犯罪や非行を行うリスクも高くなると考えました。そういった意味でも、あいさつと犯罪や非行は深く関わっていると思いました。 これらのことから、改めて自分の行動や生活をふり返ってみました。基本的に、あいさつは「されたらする」という考え方になっていました。家族にもあまりできていないという印象でした。家族にもあまりできていないという印象でした。なので、これからは、自分から積極的にあいさつを行い、今は少し難しい年頃ですが、家族にもしっかりとするようにしたいです。そして、あいさつの習慣をつけて、犯罪や非行のない地域社会づくりにつなげていきたいと思いました。「命が教えてくれた」西巣鴨中学校 3年生 宮原 蒼介さん罪の償い西池袋中学校 2年生 大橋 彩希さんあいさつと社会を明るくする運動西池袋中学校 2年生 広川 結衣さん常任委員長賞常任委員長賞優秀賞優秀賞優秀賞優秀賞

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